やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

ライセンスしたことで訴えられないか不安

 そんなことあるわけないと思いたいが。

ライセンスってなんか恐い

 私は英語も法律もGitもGitHubもよくわかっていない。だからこれはただの妄想である。

 私はライセンスに対して漠然とした恐怖・不安がある。ライセンスは免許であり許されることだと思うのだが……。

Apache-2.0 コントリビュータによる特許

 たとえばApache-2.0は特許を主張できるらしい。そのおかげか企業などに人気のライセンスだという。でもそれって法的リスクを孕んでいない? Apache-2.0を適用したリポジトリに対してコントリビュータから特許コードを提案され、挿入したら後で「特許侵害だ!」と訴えられるとか。

仕組まれた罠

 たとえば著者A氏がリポジトリRGitHubで公開したとする。ライセンスはApache-2.0。これにコントリビュータC氏が自分の特許権があるコードをリポジトリRに取り込ませるべくプルリクエストしたとする。A氏は特許について知らずにプルリクエストを適用した。後になってA氏はC氏から特許侵害で訴えられた。そんなケースが起こらないか心配。

 A氏は罠にハメられた被害者。私はA氏になりたくない。

 C氏は詐欺師である。法的知識に富んでいる。法の抜け道をさがして他者の成果物から利益を掠め取ろうとするロクデナシ。しかし合法であるため誰も裁けない。かくしてC氏は他者から吸い取る寄生プレイで人生イージーモードを享受する。誰もが楽をしたいため、C氏の手口が万延。世はまさに大海賊時代。法で正せぬ乱世なり。人の世は腐り果て、人類は衰退した。

 そんな未来を妄想した。

ググった

 こちらが見つかった。

 結局よくわからん。それはパクリかオマージュかの判断くらいグレーなのだろう。もうそっち関係の人たちにお任せします。

 何か定義やルールがあるとしても、それが正しいか間違っているかの判断なんて本質的にはできない。ルールに従うことが正しいという根拠が不明。そのルールが正しいかどうかも不明。自分にとって自分が正しいと思ったことが自分にとって正しいことである。それしか定義できない。

 正しさは自分の中だけにしかない。自分の正しさが他人にとっても正しいとは限らない。正しさが他人と共有できず、利害が一致しないとき、闘争になる。

 最後は力こそパワー。法だって実行力を持たせるべく死刑やら禁固やらの暴力でもって行使している。たとえそれが正当であるという方便があったところで、物理的な力に訴えている事実に変わりはない。正しさなどない。物理的に強いか弱いかだ。

 つまり闘争とは自分の都合で生まれた自分の答えを力づくで他者に押し付け言うことを聞かせようとする行為である。

 ああ嫌だ嫌だ。もっと仲良く建設的な関係を築けないものか。ムリだろう。しょせん利害関係にすぎない。人は独りでは生きられない。自分が生産者になるには多大な努力が必要。他者に押し付け、他者から奪い取るほうが手っ取り早い。

 未熟者め。努力という苦痛を達成感という快楽に変換する変態回路がなければ生きるのは難しい。熟達した人生のプロは殴られて気持ちよくなるものである。それでこそ一端の社畜だ。……どちらにせよ醜い。そんな現実みたくないんだよ。趣味のプログラミングで。

こんなことがしたいんじゃない!

 私はただ開発したいだけ。趣味で楽しくやりたい。人生や真理についてなど考えたくない。現実もみたくない。利権闘争になんぞ巻き込まれたくない。金儲けなんてどうでもいい。余計なくだらんことに巻き込まれる時間を過ごした分だけ人生損する。そんなことにならないかどうか。そこだけが知りたい。

 常識的に考えたらそんなバカなことはありえないと信じている。でも、人は金儲けのためなら何でもやる。事実よりも真実よりも正義よりも常識よりも権力や利益が優先される。法律は穴だらけのグレー。極小の可能性だろうが絶対ないとは言えない。

どうする?

 だからとりあえず最強のコピーレフトであるAGPL-3.0を使う。これならたぶん多くの人が嫌煙するだろう。少しでも儲けたいという気持ちがあるならコピーレフトを嫌うっぽいから。

 でもどうでもいい練習用コードでこれをやったら迷惑になりうる。そういうときはCC0で法の許す限りパブリックドメインにする。これでクソコードなのに利権を主張しうる疑念やリスクを限りなくゼロにする。無駄な時間と労力を回避。

そもそも

 人に注目されるほど有益で偉大なコードなど書けない。まるで宝くじ当たったらどうしようと心配しているようなものである。交通事故で死ぬ確率のほうが遥かに高いだろう。

 GitHubに公開しなければいい。またはコントリビュータお断り。そんなことが可能なのかは知らないが、法的リスクを受け入れるくらいなら他人との接触は完全にシャットアウトしたい。

 法律が守ってくれるとは限らない。むしろ奪われるリスクですらありうる。法律なんぞ権力者に都合よく解釈されるもの。その実態は自分が儲かることを最優先する輩が他人様に難癖つけて恫喝する行為。そういう人間や行為とは一切関わりたくない。だが自分が関わりたくないと思っていても、相手から来られたときどうにもできない可能性がある。それが法律に則ったものであったり、グレーであったりすると、巻き込まれるかもしれない。

 考えられる最大限の対策をしておきたい。「こいつ面倒臭そう」「こいつキモい」「臭い」「ヤバイ」「こいつ無価値。むしろ関わることが負債」と思わせれば予防になるはず。話しかけんなオーラ全開で被害妄想を垂れ流せば、誰も近寄らず自然と関わりがなくなりボッチになれる。これで安全安心である。

Githubって危なくない?

 独りで勝手に使っている分には大丈夫なはず。他人とやりとりが発生したらヤバイかも?

 たとえばよくわからず英語でやりとりしたり、適当にプルリクエストを受け入れたりしたら危ないかも? わからんうちは完全に無視したほうがいいかも知れん。そもそも法律だって国によって違う。そんなものを把握しながらやりとりできるか? いいやできない。できるわけがない。やりたくもない。私が対話したいのはコンパイラインタプリタ、そしてシェルだけだ!

共有→法的リスク

 せっかく共有できる機能があるのに、それが利権を求める人間のせいで法的リスクへと反転してしまう。もはや人との接触がリスクである。

 そんなバカな。インターネットは性善説で公益を前提とした世界ではないのか。いいや違う。サーバ運営だって金がかかっているんだ。営利目的こそが礎だ。

 もうヤダ。こんな哲学的な答えなき問いはまっぴらだ。そんなくだらん宗教戦争するくらいなら、楽しくボッチ開発していたい。

極意

 人から嫌われること。誰からも求められなければ、誰も奪おうとはしない。無能な人間からは何も奪えない。奪えるものが何もないから。

 持たざる者が悩むべきことは何もない。悩みとは持つ者にだけ許された崇高で深淵な時間の使い方である。持ちすぎると時間を無駄に使うことになる。持たないほうが幸福なこともある。ただし自分の存在自体が無駄である。

 あなたが詐欺師なら、以下のどちらをターゲットにする?

  • キモい愚者が独りでマニアックなことを変態的に行っている
  • 洗練された見目麗しい麒麟児が仲間と一緒に多くの人にとって価値あることをしている

 ハゲデブ加齢臭おじさん、オタク道を貫く。それだけで訴えられるリスク激減である。ありのままの自分でいればいいのだから安いものだ。ただし違うことで訴えられるリスク激増。

まとめ

  • 被害妄想をブログで垂れ流して人よけ・予防線を張る
  • 嫌われライセンスであるコピーレフト系の中でも最強のAGPL-3.0を使う
  • クソコードにはCC0で無害アピールし他人様の邪魔をしない。いつかそれで節約された時間で誰かが何かを成して私に見えない形で何らかのメリットを享受するであろうことを信じて。

所感

 この悩みはOSSの否定になってしまうのでは? なので悩む必要がないことだと信じたい。

 早くコード書きたい。でもライセンス生成するならライセンスについて多少は理解していないと……。でもやっぱわからんし。

対象環境

$ uname -a
Linux raspberrypi 4.19.75-v7l+ #1270 SMP Tue Sep 24 18:51:41 BST 2019 armv7l GNU/Linux