やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

森喜朗のもうひとつの問題:政治力のなさで国益を損なった

 差別うんぬんは当たり前。致命的なのは、そんなこともわからず発言してしまった政治力のなさ。それによってオリンピックという国益をかけた一大事業にケチをつけたこと。

政治能力がない

 政治家はウソをついて実利を得るのが仕事だ。それができなかった時点で、無能なのである。もちろん差別は最悪だが、たとえ内心で差別していたとしても、カメラの前でくらい嘘八百をならべて実利をとるのが政治家だろう。その仕事ができない無能さを露呈した以上、辞職は当然だ。役職にみあった能力がないのだから。

 PTOをわきまえた発言ができないということは、政治力がないということだ。自分の発言がどんな影響をあたえるのか。自ら考えて発言するはず。それができなかった時点で、政治力がない。

オリンピックは国益がかかった事業である

 差別だけじゃない。経済の問題を忘れてはならない。

経済ダウン

 日本がオリンピックをやる動機は、経済効果だったはずだ。政治家たちもそう喧伝していた。ならば政治家として、実利をとるべくオリンピックを成功させるのが仕事だった。しかし差別主義者にまかせてしまい、問題意識もないまま差別発言してしまった末、世界から叩かれた。

 オリンピックやスポーツに影がさし、経済効果も薄れる。それどころか大赤字で終わるだろう。失敗の原因をコロナになすりつけることもできたかもしれないが、差別意識の露呈によってそれも難しくなってしまった。

 首相や担当相は責任をとるべきなのは明らか。なのに責任逃れのために発言をさけたり、個人の引責で幕引きを図っている。彼らに経済活動する能力などないのだろう。せめて政治家としての能力を発揮してくれたらよかったのだが、政治力もないときた。擁護できない。

ネガティブ・キャンペーン

 差別発言によって日本のネガキャンになってしまった。

 事業の失敗によって国益を損なうだけでなく、日本のネガキャンによって幅広く国益を損なうことになる。日本の差別意識が世界中に知れ渡った。世界から大きく遅れている文化レベルの低さが広まってしまった。

 「日本では観光・労働したくない」と海外から思われるだろう。発言の責任は重い。

言い訳をくりかえす

 国益を損なった上、保身のために言い訳までする。余計ネガキャンになって悪化する。

 問題発言後も言い訳をくりかえしている。あろうことか家族にまで言わせているようだ。日産のゴーン社長一家を思い出す。甘い汁をすった家族が身内を擁護する。まさに権力者たちのお家芸

 政治力がない。言い訳をくりかえせば、さらに心象は悪化する。なぜそんなこともわからないのか。その無理解さがそのまま政治力のなさである。

 責任感もない。世界中をまきこんでおいて、やることが言い訳なのだ。役職にふさわしくない人間である。

 彼らがすべきことは言い訳でなく反省だ。なにが悪かったのか。どうすればよかったのか。自分を変えないかぎり、おなじ過ちをくりかえす。もっとも、権力者は力づくで思い通りになるから配慮などしないのだろう。それが問題の根本であるのだが、権力者にそれを改めることはできまい。できたらそれはもう権力者ではないのだから。権力者はふさわしくない。だから辞職する。当然の結果だ。

どう責任とるの?

 きっと無理やりにでもオリンピックを強行するのだろう。そして大成功のうちに終わったと銘打つに決まっている。自分たちだけは潤ったのだからウソではない。

 コロナについてはワクチンを接種させることで対応するだろう。たとえ副作用が大量にでてもかまわない。隠蔽する。オリンピック関係者はたまたまワクチンに順応できた個体だけを採用すればいい。

 民を使い潰す。その手口に変わりはないだろう。責任はすべて民の命であがなわせる。

 権力者の本性は変わらない。彼らを変えるのはムリだろう。自分にできることは、差別主義者たちをどう思い、どう関わるか。それだけだ。権力者によって奪われ押し付けられぬよう避けることで、自分の命と健康を守ることにつながるだろう。