やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

はてなのワクチン情報統制? 正しい情報とは一体

 急に「はてなブログでは標準的な医療情報と異なる見解が含まれたブログに警告を掲載することがあります」と言い出した。怖いので少し調べてみた。

目次

標準的な医療情報って?

 先述のURLを読んだが、はてなのいう「標準的な医療情報」というのが具体的にどこのどんな情報を指しているのかわからなかった。

正しい公式情報へのアクセスを促すことにより対抗することが望ましいと判断しています。

 と言っているわりに、先述のURLからは「正しい公式情報」とやらがどこのことを言っているのかわからないし、URLもないし、アクセスできない。画像をみるに「インターネット上の医療情報の利用の手引き」というリンクらしいのだが。いや、画像じゃなくてリンクをくれよ。なんで出し惜しみするの?

 いつのまにか「標準的な医療情報」が「正しい公式情報」になっているし。

 はてなのいう「正しい公式情報」ってどこ?

 正しい情報源なんてあるの? 仮にあったとしても、どうせ誰も責任とりたくないから明言しないのでは? あくまで一般論として「はてなフェイクニュースの拡散による人的被害を嫌います(私は悪くない)」くらいの主張なのだろう。たぶん。

 でもちゃんと知りたい。なので「はてな インターネット上の医療情報の利用の手引き」でググった。すると以下サイトを見つけた。けど、はてなとは関係ないと思う。

 結局、はてなの考えはいまいちわからなかった。おそらく「正しい情報」なんて、はてなでさえも分からない。そもそも人類のだれも、いまだコロナやワクチンの全容なんて把握していないのだから当然だ。効果だって個人差があるわけだし。なのでざっくりと「はてなフェイクニュースによる人的被害を嫌います」くらいの感じなのだろう。プラットフォーマーとしての責任は果たしましたよ、というポーズなのだろう。自己防衛アピールなのだと思う。なにがどうなって責められるかわからないしね。頭のおかしいブロガーのせいでとばっちりがきて責任追及されたらたまったもんじゃないだろうし。はてなとして、フェイクニュースの問題は認知しているという主張はしておいたほうが無難なのだろう。私は勝手にそう理解した。

医療情報利用の手引き

 ざっと読んでみたが、要点は以下だった。

情報利用は自己責任で

 具体的にどのサイトの情報を信じればいいのか書いていなかった。抽象的な条件について書いてあったが、じゃあその情報源ってどこなんですか? って感じ。現実に存在するの? 理想論を書いているだけに見える。実物がほしいんだよね。実在する正しい情報源がほしいんですよ。それ、どこですか? あるの? きっと保障できないし責任とれないから書けないんだろうな。

 毒にも薬にもならない一般論。まあ、責任なんて持てないだろうし、そんなもんだろう。自分で考えるきっかけや方針の参考にはなるはずだし。ないよりはマシなのかな?

厚生労働省

 もうひとつ。はてなページから以下ページへのリンクがあった。

 はてなは明言していないが「標準的な医療情報」や「正しい公式情報」とは厚生労働省のことを言っているのだろうか?

 明言していないところに裏がありそう。怪しい。

 というかさ、自分が何を信じるかを他人に聞くってことがナンセンスだと思う。いや、そこは自分で決めないと信じられないでしょ。だって聞いた相手を信じていなければ、その答えを信じることだってできないでしょうに。厚労省の答えを、何を根拠にして信じるのさ。自分が勉強する以外に方法はないと思う。

 他人に聞いて自分の信じるものを決める。なんてナンセンス。気持ちはわからないでもないけど。そうやって楽して知ったことって、誰かにとって好都合なことであって、自分が信じるべきことであるとは限らないと思うんだよね。自分にとっての答えは自分にしか決められない。私にはこのQAが安倍晋三の得意なマッチポンプ自画自賛を演出するものにしか見えない。だってあまりにマヌケすぎる質問だもの。ただ権威にすがっているようにしか見えない。

個人的見解

 日本政府は信用できない。五輪でコロナをまきちらして大量の国民を殺したので一切信じられない。病院さえ行けずに自宅で多数の人が亡くなった。国が民を殺したわけだ。その動機が私腹を肥やすためなのだから、金儲けのフェイクニュース運営者なんかよりずっと悪質だ。

 信用なんて、今や公的機関にはない。

 これから先、コロナがどうなるかなんて誰にもわからない。フェイクニュースが存在するという事実を念頭におきつつ、自己責任において自己決定しろ、ということでしかないと思う。それを国家権力に忖度した形で表現しているのだろう。公的機関であれば信用できるという保障もない。正しく研究したところで、完璧である保障もなければ、間違っていない保障だってない。

 そりゃ正しい情報源があるなら誰だって知りたい。そんなのがあるんだったら今すぐ教えてくれって感じ。でも探してもそんなリンクはどこにもない。つまりはそういうこと。

 正しい情報なんてない。だってだれもコロナを完璧に理解していないから。でもそれを言ってしまったら、ワクチンで救われると信じている人たちがパニックを起こすかもしれない。だから不安を煽るような真実は口にしないのだろう。

 人は事実よりも信じたいことを信じる。そんな虚構信者である彼らに、聞きたくない真実を伝えたらどうなる? 暴動になる。正しいことをいう者を排除しようと動き出す。だから正しいことが言えないのだろう。コロナにかぎった話じゃない。

 誰もが皆、あくまで自分の責任の範囲で言えることだけに終始している。だから「正しい情報」がどこにもないのに、「正しい情報をみろ」という。はたしてその発言は正しいのか?

 「正しい情報なんてない」ということが正しいと思う。「効果には個人差があります」ってやつだ。そこまで保障しきれることなんて何一つない。最近出たばかりで変異を続けるコロナであるならなおさらだ。

 「俺が死んでもいいっていうのか?!」という人がいるらしいが、はっきりいって「べつにいいですよ? あなたが死んだって(むしろ死ねばいいのに)」というのが本心だと思う。自分が死にたくないと思っているのは自分だけ。人は独りなのだから当たり前だ。なんで他人が自分を助けてくれると信じられるのか。むしろ、そういうやつから先に奪われていく世の中だと思う。フェイクニュースの件だってそういうことだ。

フェイクニュース

 フェイクニュースによって注目を浴びる。PVが増えて広告収入を得られる。だからセンセーショナルな作り話を捏造する。コロナはうってつけの題材。騙されてパニックに陥らないようにしましょう。

 という主旨なのだと思う。それはわかる。私たちは死にたくない。生きたい。そのためには正しい情報が必要だ。まちがった情報は死につながる。よって科学的な根拠にもとづく正しい情報がほしいのだ。誰だって好きで騙されたいわけじゃない。

 ところで、金儲けしたくて五輪を強行した日本政府は信用できるんですか? 彼らは科学を重んじていましたか? はっきりいって、フェイクニュース運営者なんて日本政府と比べたら規模が小さいしょぼい相手だ。国とは違って元から公益を考える立場にないわけだし。いまや国さえも公益なんて考えていなくて、私腹を肥やすことばかり。これがグローバル経済社会の現実。

 フェイクニュースをやり玉にあげているけど、日本政府が信用できないことのほうが致命的な問題だと思う。小さい問題の犯人に注目させて、諸悪の根源が責任から逃れる。そんな構図にさえ見えてしまう。

 フェイクニュースを問題視させることで権力者を守る。国民への思考誘導ではないのか。

 営利団体であるはてなは、権力者への国に忖度しているのでは? だからさも厚労省が正しいかのように読み取れる書き方をしたのではないか。じつは接待しているんじゃないか。何の証拠もないが、疑おうと思えばどこまでも疑える。信じたらそこで終わり。私は誰も信じない。

 でも、はてなが自分に都合の悪い被害妄想を野放しにしているのであれば、問題ないという自信の表れではないかと解釈することもできる。私のこの記事がどう解釈されるのか。その応答によってはてなの思想をかいまみることができるに違いない。なのでギャーギャー騒ぎたててやろう。正しい情報を得るために。

具体的なフェイクニュース

 そもそも、具体的なフェイクニュースを知りたい。そうじゃないと判断できない。たとえば以前「お茶のカテキンがコロナに効く」みたいなのをヤフーニュースで見た気がする。私は真に受けなかった。どうせ商品を売りつけるためのホラだろうし。営利目的の連中がいうことなんて何も信じられない。

 でも、実際どうなのかは知らない。ああいうのがフェイクニュースなのだろうか?

 ちょっとググってみた。

効果確認や・・・ヒト臨床試験疫学調査はまだ行っていません。

 確かめてないんだってさ。

「緑茶は新型コロナウイルスに効く」等の表示は健康増進法景品表示法薬事法上、優良誤認に当たるため出来ません

 つまり、たぶん「お茶のカテキンがコロナに効く」はフェイクニュースなのだろう。

 でも、そういったバカバカしいやつは以前からたくさんあったはずだ。

日常にひそむフェイク

  • 聞くだけで英語が話せるようになるナンチャラ・ラーニング
  • 視力回復
  • つけるだけで腹筋が割れるバイブ
  • ガンが治る方法
  • なんちゃら成分が美容と健康にいい(はちみつとかしじみとか)

 昔からテレビや新聞などでよくみるやつ。世の中、嘘であふれかえっているとおもう。はっきりいって、いまさらコロナのことでフェイクニュースがーとか言い出すのは違和感しかない。

 ガンが治るとかの嘘はいいのかよ。たとえ嘘でもプラシーボ効果があるかもしれないとかいうんなら、コロナのフェイクニュースだってそういえてしまうわけで。

 結局、私たちは正しさよりも金儲け、欲望を優先している。自分が得するためなら平気で他人に嘘をつく。そんな人の性質が正しく浮かび上がる。

 人は嘘をつく。このたったひとつの真実だけで、もう何も信じられない。大企業とか国とか、そういうところのほうがむしろ大規模な嘘をついている。それは歴史が証明しているわけで。

 日常のニュースもそうだよね。小さな犯罪者にスポットをあてているけどさ、なんで五輪強行した大量殺人を罪に問わないの? もうそういった不誠実さからして信じるに値しないんだよ。

 今回のフェイクニュースも同じにみえる。より大きな悪を正しいものに見せかけるために、小悪党を悪者に仕立て上げる。そういった戦略にみえてしまう。

 だって五輪で国民を殺したじゃん。どうしたって、そこに帰結する。口先でなにをいっても、やらかした実績はもう消えない。信じるとか疑うとかではない。明快な事実がすでにある。論じるまでもない。あるがままを見て判断すればいいだけ。

 強者に屈する。ただそれだけのことなんじゃないの? 正しさなんて検討していなくて、単に強者のいうことに従って思考破棄しているのでは?

 巨悪である日本政府。それをさも正しいと言いたげなはてな。これはもう、はてなさんが政府と癒着しているに違いない。きっと銀座で接待とか受けているに決まっている。そんなはてなさんを信じることもできなくなりそうだ。だって営利目的じゃんね。営利目的の団体は金儲けのためにフェイクる可能性があるって日本インターネット医療協議会がいってたし。

 だったらはてなが日本政府と癒着して税金でサーバ費用をまかなっていたとしても不思議はないよね? だから厚労省が正しいように見せかけているという可能性もゼロではないはず。だって私は何も知らないし。

 はてな厚労省が正しいと明言していない。それこそが誘導の証拠だと思う。明確な証拠がのこるフェイクニュースより悪質ではないだろうか。仮に厚労省に嘘情報があってもはてなとしては「うちは厚労省が正しいなんて一言もいってません」と言えるわけだし。まあ、仮にそうだとしても、べつにはてなだけが悪いとは思わないけど。それが人間だよねって思うし、だから誰も信じられないという結論に戻るだけだ。

 証拠なんてない。むりやり疑ってみただけ。でも証拠がないせいで否定もできないことは事実なわけで。正しい情報って、そもそもどうすれば正しいと証明できるのさ。疑わしい根拠ならいくらでも挙げることができる。でも、たったひとつでいい。

 人は嘘をつく。それさえ念頭においておけば、あとは自己責任で丸投げするしかない。だから日常がフェイクだらけなんだよ。それが現実なんだよ。今更なんだよ。

営利目的でない情報源なんてあるの?

 世界はグローバル経済社会。カネと無縁でいられる人なんてこの世にいない。名目上はそう謳うことはあっても、実際はNPO団体でさえ黒い金の温床になっている。

 国でさえ私服を肥やすためにやっている。じゃあ一体だれにできるの? 神? 天皇? できないよね? だって皆、自分のことしか考えない獣だもの。すっごーい! エゴ・フレンズだね!

 そんなに偉いなら、すごいなら、やってくんない? なんのために大金もらってんの? なんのための特権階級なんだよ。自分のためでしかないんだ。しょせんは醜い人でしかない。人に夢をみることなんてできやしないんだよ。人に期待すること自体がまちがっている。自分で研究するしかないんだよ。

 国さえも公益を考えず私腹を肥やす。正しさがあるとすれば、エゴにまみれた汚い人間しかいないということだ。コロナで自粛しろといっているのに接待を受けているような連中の出す情報が正しいと、どうやれば信じることができるのか。無理筋すぎて腹筋が痛い。

疑うこと

 正しい情報を得るためには、まずすべてを疑うことが必要だと思う。

 はてなは「標準的な医療情報」と異なる見解だったら警告するとあるが、そのやり方だとまるで「標準的な医療情報」とやらが、あたかも正しいかのような見せ方にみえる。そう思わせるよう誘導しているように見える。

 それって本当に正しいの?

 そもそも「標準的な医療情報」を明確に定義していない。具体的な情報源がどこかも書いていない。そんな曖昧なものを、さも正しい情報であるかのように見せて誘導しちゃって大丈夫なの? 責任とってくれるの?

厚労省は正しいのか?

 その情報源が厚生労働省だとして、国のやることが本当に正しいの? 水俣病とかアスベストとかB型肝炎とか。今までも色々あった。コロナのワクチンだってどうなるかわからない。そういった疑いを考えさせ、自己決定させるように促したほうがいいんじゃないの? だって結局、まだコロナについてすべてわかっているわけではないのだから。それを言わずにさりげなく厚生労働省のURLへリンクさせるってことは厚生労働省の情報が正しいと思い込ませるためのテクニックなのでは?

誘導していないか?

 はてな厚生労働省が正しいなんて一言も書いていない。「正しい情報」という言葉はあるし、厚労省のリンクは貼ってある。けれど、その二つをつなげて「厚労省は正しい」と明記した文章はどこにもない。なのに、それで厚生労働省が正しいだなんて思ったのは読者の勝手な解釈なわけで。はてはが責任を負うことはない。そんな理屈が通る。だとしたら、これは誘導ではないのか? あたかも厚労省が正しいと思い込ませるための巧妙な洗脳なのでは? 「正しい情報」という言葉と厚労省へのリンク。これらがあって、厚労省=正しいという図式を描かないほうが不自然だ。まちがいなく思考誘導だろう。

 あるいはそう解釈した者を「お前は文章が読めないバカ」といって罵り、暗に自分は悪くないというかもしれない。明記せず暗示したときは「書いてねーよそんなこと」というくせに、明記して暗示できなかったときは「行間も読めないのかバカめ」という。都合のいいように解釈させようと暗示し誘導し、都合の悪いことは明記しない。結局、どうあがいても自分は悪くないと主張する。そんなやつのいうことなんて信用できない。まあ、はてながそんな悪質だなんて思ってないけど。

 本当にそれが正しいかなんて、どうやって判断するの? 研究者でもないはてなさんに、そんなことはできないわけで。だったら結局は、読者が自分で判断するしかない。そして私の見解では、はてなさんのやり口は、まるで厚生労働省の情報が正しいと思わせるよう誘導しているように見えた。なーんか臭うんだよね。

信じる根拠より疑う根拠のほうが強い

 疑わしい。国もはてなも、皆すべて疑わしい。

 なんか、よくわかんないから、とりあえず強者のいうことに従っておこう。

 そんな日本人的なお上に従う姿勢にしかみえない。

 思考停止ではないのか?

 五輪の強行で大量虐殺したのに、どうしたらそんなに国を信じることができるのか。私個人としてはまったく理解できない。たぶん、わからないのが不安で、その不安をなんとかしたいから、とりあえず強者のいうことを真実だと思い込みたいのだろう。私としては、そういう心の弱みにつけこむのがヤツらの手口だとしか思えないのだが。人それぞれってことかな。

自己責任論

 読者に疑う機会を与えるのは悪くないと思う。私に言わせれば、自分の命や健康がかかっているのだから、そんなの言われるまでもないのだが。とにかく「自己責任」ということだけは自覚しておかないと後悔してもしきれないだろう。そのきっかけを与えてくれるなら、パニックの抑止には多少貢献するかもしれない。

 でも、自己責任なのだから、疑いを持って調べるかどうかさえも自己責任なのでは? わざわざはてなさんがブロガーや読者に伝える義務なんてないはずだ。それなのに公式っぽい立場で、正しい情報を知っているかのように伝えちゃったら、そりゃもうそれが正しい情報だと思っちゃうよね。本当にワクチンに薬害がないと言い切れるのか。30年後に訴訟は起きないのか。国は保証してくれるのか。今までの薬害などのケースをみるに、とてもそうは思えない。国の傲慢さからして、絶対に力づくで黙らせようとするだろう。はてなはそんなことまで考えていないはずだ。個人のブログなんかよりは信憑性が高いだろうって判断なのだろう。でも、それをどう判断するかは自己責任なんじゃなかったの? 誘導しちゃうのはちがうんじゃないの? なんか都合のいいときだけ自己責任論ふりかざしてない? はてなを責めるのもおかしいと思うけど。言ってることとやってることが一致してない感パない。まあはてなは自己責任だ、なんて一言もいってないけど。

 他人のブログに警告を載せるんじゃなくて、はてなさんが正しい情報を発信すればいいんじゃないの? それができないからってブロガーのブログ記事を汚して正義ヅラするのはどうかと思う。まあ、何もしなかったらそれはそれで叩かれるのかもしれない。はてなとしてはブロガーに好き勝手しゃべらせた代償として自分まで責任を問われるのが嫌だから注意書きを出すことによって責任は果たしたっていいたいんだろう。責任をとりたくないからって何も言わないよりは、叩かれる覚悟を持って発言したほうが絶対にいいとは思う。でも、表現の仕方が誘導っぽいのがな〜。

 どうなるか誰にもわからない。誰かの言いなりになって致命傷を負って「お前のせいだ!」と言っても遅い。死人に口なし。病気にしろ過労死にしろ自殺にしろ、死んだらすべての責任をなすりつけられて悪者に仕立て上げられる。他人に生殺与奪の権利を握らせてはならない。

 せめて生きているうちに言いたいことくらいは言いたい。たとえ言うつもりもないことまで勢い余って言ってしまったとしても。抑圧されて言えないよりはずっと健全だ。これで言論弾圧までされようものなら、いよいよもってお上に忖度なさっている疑惑が強まる。まあそうなったらきっとはてなはお祭り状態になるだろうし、それはそれで楽しみではある。

はてなは削除に慎重らしい

現在のところ、はてなブログでは、標準的な医療情報を否定するような情報も含めて、情報の削除については慎重であるべきであると考えています。例えば、欧州委員会(EC)の高度専門家グループでは、虚偽情報を削除することが、その情報の提供者やそれを信じる人の信念を強固にする可能性が指摘されています*1。

「この情報、消されたぞ?!」
「な、なんだって?!」
「きっと政府の陰謀だ!」
「俺たちは知りすぎてしまったんだ!」
「やはりあれは世界の理だったか!」

 みたいに思う人たちがいるってことですね。わかります。私です。

 私は私の疑心暗鬼ログを消されたら、絶対にそう思う。消すということは、誰かにとって不都合ということ。嘘っぱちだったらべつにどうでもいいから放置するはず。わざわざ消すということは正しい真実ということの裏返しなわけで、信じる根拠になってしまう。とくに一方的に消すという強行におよぶほど、その信憑性は高まる。よほど都合が悪いに違いないと信じることになる。

 世界を裏で牛耳る支配者、はてなの陰謀を暴いてやった。その事実に興奮を隠せず、舞い上がり、はしゃぎまくって、さらに根も葉もないことを吐き散らかすだろう。さもそれが、はてなという悪の枢軸から世界を守るヒーロー的な行いであるかのように感じるにちがいない。俺は世界をはてなから守るヒーローだ。そんな思想に染まることになるだろう。

 こんなキチガイにまで配慮せねばならないとは。はてなさん可哀相。でも、そんな痛々しい中二病患者にもやさしいはてなさんだからこそ好きなんです。お願いだから寛容であってほしい。どこまで許されるか。はてなさんの愛をたしかめずにはいられない。私のカレピッピであるはてな氏は、私のことをどこまで受け止めてくれるのか。試させてもらうわよ。

被害妄想の妥当性

 「不安を煽るな」って言いたくて消することもあるかもしれない。でも、一番怖いのは「わからない」状態でいること。たとえわからなくても、あれこれ考えたら具体化されてゆく。すると対策のとっかかりが見えて、対処が思いつくようになる。少なくとも、わからないからといって何も考えないよりは改善する可能性がある。ならばやらないよりやったほうがいいだろう。

 もし正しい情報があるなら、即座に間違いを否定できるはずだ。そうすればいい。間違った情報をやり玉にあげて「皆さん、彼のようにならないようにしましょう」と吊し上げたらいい。それだけ明快で、だれもが認める正しい情報があればできるはずだ。むしろ間違った情報があるおかげで、正しい情報と比較でき、それによって正しさが証明される。正しさを確認するためには、間違った情報が必要なのである。

 私たちは間違った情報を発信すべきなのだ。

 もし間違った情報がはびこっているなら、それを一掃できるだけの正しい情報がないってことになる。であれば、何をもって正しいとか間違いだと言えるのか。もし正しいことしか言えない人間がいたとしたら「わからない」としか言えなくなってしまう。それでは何も確かめられない。明確な間違いがあればわかりやすく指摘できる。それが間違いだとわかれば、答えはそれ以外の何かであることがわかる。答えに近づける。

 間違うことで答えに近づける。だから私たちは間違うべきなのだ。間違いをガンガン放出するべきなのだ。間違うことを恐れるのは、間違ったことをいうやつを叩く人間たちが怖いからだ。私たちは間違わなければ前に進めない。その恐るべき真実を受け入れ、私たちは間違いつづけてゆくしかないのだ。

 間違って失敗して死にたくない。間違う恐怖に屈服した人間が、間違うことを邪魔する。それこそが正しい事実を確かめられない最大の原因にして障害である。間違うことは恐れてもいいが、邪魔することは危険だ。正しさから遠ざかってしまう。他人の間違いを正そうとするのは当然だが、正すことが正しいことかというと、そうとは限らない。間違うことでしか正しさを確認できないなら、間違いづつけることだけが、正しいことの証明になる。正しくあるために間違うなら、そんな人を止めてはいけない。きっちりかっちり間違わさせてあげるべきだ。むしろ彼が安心して間違えることができる環境をととのえてあげることで、正しい事実確認をさせようではないか。

 間違うことだけが正しさに通じる唯一の道だ。

 明らかに被害妄想。それでいい。私はいくら侮辱されてもかまわない。それで少しでも考えが進んで、事実を元に対策をねるヒントにでもなればいい。どんどん指摘してほしい。「お前はまちがっている!」といってもらえるのは喜び以外のなにものでもない。それでまた一歩、正しさに近づけるのだから。さあ、私を攻撃してくれ。自殺に追い込むほどに激しくたのむ。それだけ強気でこれるくらいに明確な根拠をもっているのだろう? 大歓迎だ。

 むしろ「皆に叩かれること」を恐れて被害妄想すら発言できなくなり、気づくきっかけが失われて、対策できなくなるほうが危険だ。なので私は強者や多数派の意見こそ疑い、否定すべきだと考えている。誰も思いつかないことや、誰もが当然におもってわざわざ発言しないようなことを、わざと言う。そうやってひとつひとつ疑いを潰していくことで、正しい答えにたどり着けるのだ。もし馬鹿げたことだという理由で確認を怠れば、足元を救われる。もし集団リンチが怖くて、だれもが認めたくない事実を言わないならば、皆で死ぬことになる。赤信号、皆で渡ればこわくない。本気でそう思っている連中が、私は怖い。それが日本人の性質であると言うなら、私はだれも信じない。逆に、人を疑い続けることが正しさに通じると信じる。

 現に私たちはわかっていない。だからコロナに殺されつづけている。その無知さをちゃんと自覚し、自己否定し、疑心暗鬼におちいる。それこそが正しさへ至る唯一の道だ。どれだけ苦しかろうが、命がかかっているのだ。手を抜けるわけがない。正しさにもとづく恐怖。それを排除したいから集団リンチする。そんなことが起こるから、人を信じることができない。人の裏をゆくことこそが正しいと信じる根拠になる。

 不安だからって疑うことをやめるのは悪手だ。不安だからって煽るのを消したら、疑うという自分の身を守る行為さえ否定されて、余計に危機感が募る。

 もし正しい情報があるなら「それは間違っている!」とはっきり否定できるはずだ。もし否定できないのなら、つまり正しい情報なんてないってことになる。ならば、被害妄想であったとしても、可能性を網羅したほうが、正しい情報をみちびく手がかりになるはずだ。

 被害妄想だの、不安を煽るだの、その程度でビビって恐るべき真実を知ることから避けるほうがよほど危険だ。

 私は疑う。安全のために、納得するために、自己決定するために。

正しい公式情報へのアクセスを促すことにより対抗することが望ましいと判断しています。

 正しい情報があるなら最初からください。

 対抗ってなんすか。バトルなんすか。嘘をまきちらす弱小ブロガーは敵ですか。いやいや、協力プレイでしょうが。ゲームってのは敵対するから楽しめるんだ。楽しむことが目的なんだ。敵を倒すという目標を達成することは、提案された楽しみ方のひとつでしかないんだよ。なぜそれがわからない。これだからガチ勢は。

 そんなふうに徴発されちゃったら、むしろ正しい情報がほしくて間違った情報をわざと書きたくなっちゃうじゃないですか。

 本当に正しい情報があるなら、そのページで紹介してくださいよ。本当に間違った情報によってパニックや人的被害を危惧しているなら、すぐに教えてくれるはずですよね?

 ないんでしょ? 正しい情報ってやつが。

 皆がいっていることが本当に正しいのか? 多数派であればいいのか? その業界の権威であれば正しいのか? 証拠なんてない。だからきっとそうに違いないと信じたいだけ。願望と事実の区別がつかなくなったその状態こそ、正しい判断ができなくなった危険な状態ではないのか? 間違いを選択しやすい状態なのではないのか? こうやって答えを出さず、疑い続けることでしか、正しさを認識できない。ならば間違い続けるしかなくて、いつまでも正しい答えになんてたどり着けないはずだ。

 そもそも、本当に正しい情報なんてあるのか? 仮にあったとしても、自分の体で試してみないかぎり判明しないのでは? でもそれじゃあ意味がない。事前に100%安全であることを確認したい。その願望を実現する手段がどこかにあるにちがいない。そんな希望敵観測で、勝手に正しい情報がどこかにあると思いこんでいるだけなのでは?

 間違い続ける。それだけが正しくあれる唯一の手段だ。

 正しい情報源があったらコメントで教えてくれると嬉しいです。記事にして紹介しますんで。ツイッターでつぶやくんで。

はてなは正しい?

 まるでブロガーが嘘をまきちらす害悪であり、はてなはそれを正すための注意書きを書くヒーロー。そんなふうにも読めてムカついた。なので難癖つけてみた。だって私がヒーロー役でありたいんだもん。

 もしブロガーが正しい情報を知っていたらそれを拡散するよね? 私たちは好きでデマを広めるわけじゃない。どこにも正しい情報がないから結果的にデマが広がっているだけだ。

 そんなに心配なら、はてなさんがブロガーに正しい情報とやらを教えてください。

 正しい情報なんてない。少なくともそれを判断することはできないから外部にまかせる。そういえばいいのに。自分の悪性について触れていない。だから胡散臭いんだよね。べつにはてながそんなことに全責任を負わなきゃいけないわけじゃないんだからさ。至らない点についても言えばいいじゃん。その分だけ真摯さが伝わるはずだよ。

 五輪の強行で大量虐殺したことを成果であると主張するようなやつのことを誰が信じる? 支持する? 敵だとしか思えない。自らの悪性や未熟さを認めない。事実を認めない嘘つき。そりゃ信じるもクソもない。明らかに間違っているのだから。そういうことだよ。

じゃあどうすればいいのさ?

 正しい情報はない。誰も彼も責任から逃れるための一般論しか言えない。だとしたら、私たちはどうやって正しい情報を得て生き延びればいいのか。それが大事なんだよ。

 結論から言うと、知りません。わかっていたら最初に言ってます。

 私たちはいつも、わからない中で判断せねばならない。それは変わらない。たとえ題材がコロナであり、自分の命に直結していても変わらない。

 何を信じるか。私は何も信じない。私は人が嘘つきであると知っている。信じるとか疑うとか言う前に、知っている。なので信じないし、疑わない。知っていることを前提にして妄想する。

 国は民を殺す。他人は私を殺そうとチャンスを伺っている。日々のCM、広告、宣伝。あらゆる情報から、人々の悪意とエゴがみえる。そんな彼らのことを欠片も信用なんてしていない。

 なので私は誰の言うことも信じない。ワクチンなんて絶対に打ちたくないし、飲み薬だって絶対に飲みたくない。それならコロナに感染して死んだほうがマシだ。

 自分で納得できるよう腹をくくるしかない。だって正しい情報がどれだかわからないのだから。

 この際、緑茶のカテキンでコロナに勝つる! と盲信してプラシーボ効果をたよりに戦ってもいいと思う。必ずしも正しさだけがすべてじゃない。大事なのは自分で決断することだ。そのためならば手段は問わない。結果よければすべてよし。勝てば官軍、負ければ賊軍。

正しいからって救われるとは限らない

 仮に情報が正しかったとする。それでも個々人によってどんな結果になるかはわからない。だれも保障してくれない。だったらもう、情報がどうとか、正しさがどうとかいう問題じゃない。情報には限界があって、それ以上を知るには、自分の体で試すしかない。失敗すれば死ぬかもしれない。だから先に知りたいのだが、それはできない。だからどうするかは自分で決めねばならない。

 自己決定する。その材料に情報がある。けれど情報にも正しさ以前に限界がある。自分の体で検証して事実確認しないかぎり判明しない。情報にすがってもムダ。やるかやらないか。それだけだ。そしてそれを決めるのは自分であるべきだ。情報なんて他人が出したそれを鵜呑みにして、いいのか? 他人のそれに、自分の命をかけることができるのか? そういった自問自答こそがなにより大切なのだと思う。情報の正しさより、自己決定することが大事。

 ワクチンを打つのか打たないのか。それを決めるのは情報の正しさよりも、他人に自分の命を預けていいのか嫌なのか。それを自分の中ではっきりさせることで決断できると思う。私は絶対に他人に命を預けたくないのでお断りです。たとえ世の中がワクチン接種していない人間を排除しようとしても、そんな社会とは関わりたくありません。さようなら。