ライセンスの使い分けについて考えてみた
どれを使うか。
前回まで
だいぶ前にざっくり調べた。素人には難しすぎる。
パブリックドメインにするならCC0を使うのが良さそう。
http://ytyaru.hatenablog.com/entry/2017/08/16/000000
http://ytyaru.hatenablog.com/entry/2017/08/17/000000
使い分け
私の実力ではCC0がふさわしい。
ライセンス | 使い分け | 判断基準 |
---|---|---|
CC0 | 学習、調査、実験用コードを公開するとき | 煮るなり焼くなり好きにして |
MIT | 汎用性、価値、独自性があるとき | 著作権の表記を求む |
GPLv3 | オープンソースを強要して公益を生みたいとき | ソースコード、変更箇所の開示を求む |
類似
使わない
- No Licenseはたぶん使わない
- 修正や配布が禁止だから
- 特許許可ライセンスはたぶん使わない
- 企業で使えるほど価値あるコードなど書けない
- 特許を許すことで自由を損なうかもしれない
- 特許を欲しがる企業が使えないことで生じる損失もあるかもしれないが
なぜパブリックドメインか
そもそも、権利を主張するほどの価値あるコードなど書けない。せめて未来の自分や誰かの邪魔にならないようにしたい。以下のような事態を避けたい
- 快適なPC生活が訪れる未来が閉ざされる(遅れる)
- 皆コードが公開しづらくなってしまう
- 法的リスクが生じることを恐れて
- 知らずに法的リスクを背負うかもしれない
- 後出しで訴えられるかもしれない
- 法的に使えない形で公開してしまうせいで
- コードを書く時間を奪われる
- ライセンス調査に追われて
- ライセンス適用手続きに追われて
- 短いコードやライブラリ一つ一つに主張があるせいで
- 法的リスクが生じることを恐れて
- 皆コードが公開しづらくなってしまう
だから自分が書くしょぼいコードくらいはパブリックドメインにしたほうが得のはず。という打算。
妄想
以下、妄想。
ライセンスとは何か
ライセンスとは作者が他者に作品の利用許諾を与えること。それを合法的に行う手段。だと思う。
求める理由
ライセンス毎に何かを求めている。なぜそれを求めるのか考えてみた。
なぜ知的財産権を主張するのか
法律のことはよくわからない。だが、金銭、権力、名誉など社会的に見て価値ある何かを得たいから権利を主張するのだろう。
なぜソフトウェアとそれらを交換したいのか?社会が経済で回っているから。その中で生き延びるため。
著作権の表記を求む理由
- 連絡先を明らかにする
- 複数コピーされたコードのうちどれが元か識別できるように
- それをライセンス(許諾)で行うのは何か違う気がするが、表記を強要できるのでそのような用途も可能
- 自己顕示欲、承認欲求を満たすため
- 「こんな価値あるコードを書いたのは私です」
- 「だから雇ってね?」
- 「だから助けてね?」
- 「だから褒めてね?」
- 「だから私、ここにいていいよね?排除されないよね?ね?」
- 「こんな価値あるコードを書いたのは私です」
最後のやつくらいかわいい主張なら許しやすい。自分が相手を許諾しているつもりが、じつは自分が許して欲しかったというオチ。
ソースコード、変更箇所の開示を求む理由
- 新たな価値あるソフトウェアを利用できる
- 互いに改善し合える正のループ
ソフトウェアの貢献にはソフトウェアの貢献を持って返す。自分たちのために自分自身が改善しようとするため、人も育つ。健全。
経済的な利益の追求が正義である今の社会にはそぐわない面もある。なので商用OKや特許許可のライセンスもある。
オープンソースやシェアリングエコノミーのような考えが広がってきた。今後は大きく変化するかもしれない。
所感
CC0が身の丈にあっている。