調べてみた。
結論
ヤンクとはコピーの劣化機能である。(今の私の認識。無保証)
ふつうのコピーとペーストの概念
機能 | 意味 |
---|---|
コピー | クリップボードに対象テキストを保存すること |
ペースト | クリップボードの内容を指定箇所に貼り付けること |
異なるプロセス間においても共有可能である。
Vimのヤンクとペースト
ヤンク
ヤンクとは、そのプロセス中のVim内でのみ扱えるメモリ領域に、テキストを保存すること。
こちらのように別途インストールと設定をすれば、クリップボードへコピーできるようになる。
ペースト
ペーストとは、直前に削除したテキストを貼り付ける。なければ、直前にヤンクしたテキストを貼り付ける。たとえヤンクしたテキストがあっても、直前にテキストを削除していれば、それがペーストされる。
(前回、VimScriptによりこの挙動を変えてヤンクしたテキストを貼り付けるようにした)
考察
Vimのヤンクとペーストの挙動に違和感がある。考え、調べてみた。
(閲覧注意。妄想が多分に含まれるので真に受けないように)
なぜ削除をコピー対象にする?
一体なぜ、削除したのをペーストするのか。いらないから削除するし、再び使いたいからコピーするのだ。コピーこそ優先してペーストされるべき。なのに削除をコピーしたものよりも優先してペースト対象にするのはおかしい。
もしテキストを別の箇所に移動させたいというなら、Moveコマンドとか作って別枠にすべき。カット&ペーストもできるべきだが、それでコピー&ペーストができなくなっていい理由はない。
なにか素人には計り知れない深い事情や、Vim哲学があるのかもしれない。
ヤンクって何?
そもそも、Vimでは「コピー」ではなく「ヤンク」という。ヤンクって何? 調べてみると、「グイッと引っ張る」だそうだ。はぁ?
〈話〉グイッと引っ張る、グイッと引く 《野球》〔打者がボールを〕思い切り引っ張る 〈俗〉〔男が〕マスターベーションをする
https://eow.alc.co.jp/search?q=yank
ちょ、え、なにしてんの? 今までそんなことしてたの? ヤンクしまくってるんですけど。vimは自家発電粒子加速器だった。
ヤンクは引っ張ること
いや、あくまで自動詞として使うとそんな意味があるだけで、他動詞なら「引っ張る」以外の意味はないらしいから心配ない。「指定したテキストを引っ張る」という意味だろう。うん。
ヤンクはコピーの劣化版?
で、テキストを引っ張るって何? どこに? デフォルトではクリップボードにさえコピーされないのに。コピーしたわけじゃなく「引っ張った」だけだから、ペースト対象としては削除よりも優先度が低いってこと? いや意味わからん。
これまでの考察によると、ヤンクはコピーの劣化版みたいな印象しかない。Vimはコピーもできない劣等エディタなの? それともヤンクを使いこなすとスゴイことできるの?
カット&ペーストならできる。それはいい。でもそれでコピー&ペーストができなくなるのは困る。
私が無知で使いこなせていないだけだと思う。たぶん。
ヤンキー
まさかのyankからのyankeeつながり。さすが辞書、気づかなかった。
ヤンキーとは、不良、暴走族、ワル、チンピラ等の意味だと思っていた。が、アメリカ合衆国北東部に住む白人に対する俗称や蔑称の意味もあるらしい。
なんか、ますます印象悪いな。ヤンクは自慰非行ヒャッハーすること。Vimは自慰非行マシン。いや、歴史ある信頼と実績のエディタなんだろうし、違うと思うけど……。
総評
Vim
悪魔
vimは非行エディタ。素行不良な点はVimScriptで矯正せねばならない生粋のワル。でも、そこにしびれるあこがれる。使いこなせれば俺スゲーと悦に浸れ、勘違いできるので、まわりからは自慰野郎と罵られる。すると厳しい世間の目からのがれるように一層Vimに耽溺し、ついには狂信者となる。Vimは邪教。人の業を顕現せしめる悪魔。
病
Vimは病。デレのないヤンのせいで人を遠ざけることに長けている。Vimmerはすでに狂信者であり、病んでいることに気づけない。それどころか、「Vimなどというポンコツちゃんを使いこなしてあげられるのは俺だけ! 俺スゲー! もうVimちゃんには俺しかいない!」的な盲信により、さもすばらしいエディタであるかのように映る。そして、そのように布教する。Vimに罪はないが、Vimは人を狂わせ人生を変える。Vimは死に至る病。
ヤンク
ヤンクは組織の陰謀。一般的なコピーとは異なる概念をつくりだし、独自色を強めることで、信者を作り出すという支配構造。閉じた己の檻からプリズンブレイクできなければテクノブレイクに至る猛毒。どちらにせよVimにより苦しむことから、ストックホルム症候群的な逃げ道をつくりだす。
Vimは悪くない →私がVimScriptを頑張ればできる子 →Vimがポンコツなのは私のせい →ほらできた →Vimはスゴイ子 →Vimは可愛い →Vimはワシが育てた! →俺スゲー!Vimスゲー!
VimScriptをマスターしたころにはすっかり抜け出せなくなっている。手間をかけてしまったから、もう引くに引けないのだ。私にはもうVimしかない。かくしてVim依存による歪んだ愛が育まれる。ヤンクはVimから逃れられなくなる魔の手である。「VimScriptがある」は悪魔の囁き。それは救いの手ではなく魔の手である。誘われたら最後、Vim廃人まっしぐら。
VimScript
触らぬ神に祟なし。VimScriptに手を出さなければいいはず。しかしそうは問屋が卸さない。なにせ、たかがコピー&ペーストをふつうに使うにもVimScriptが必要なのだ。Vimを使う以上、決してノータッチではいられない。これは綿密に仕組まれた罠にちがいない。
所感
ヤンクからはじまるVimへの愛が歪みきっている件。
これは近づくべきでない奴に手を出してしまったか? と思うはずなのに、すでに憎らしくも可愛くみえはじめている。かけた手間や労力が、いつしか愛着→執着→盲信→狂信へと昇華していくのも時間の問題か。
ヤンクから始まったVim愛は歪みきっていると言わざるを得ない。冷静なうちに手を引きたいが、すでにVim依存症になりかけている。ターミナルとVimのおかげで、低スペックでもフリーズ頻度が激減した実績がある。もうVimを手放せない。弱みを握られた者には信じる以外に成すすべはないのか。
早くnanoに乗り換えないと、とりかえしのつかないことになる。
真理
ヤンクとは神の手である。