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アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

生殖補助医療における民法特例法案(精子・卵子提供者は親じゃない)

 性なる夜に捧げる。2020/12/04、第三者から卵子精子の提供を受けた生殖補助医療で生まれた子どもの親子関係を明確にする民法の特例法が成立した。

生殖補助医療法

 第三者から精子卵子の提供を受けたときの親子関係を明確化する法律である。

 出産した女性とその夫が、母・父となる。つまり、たとえ第三者から精子卵子の提供を受けたとしても、それら提供者は母・父にはなれない。育ての親が親になる。

 というニュースを見たので、ちょっと調べたり被害妄想したりしてみた。

子供に不利である

 この法律は、子供に不利である。なぜなら子供は自分の出自を知る権利が保証されないから。

 子供からしてみれば、遺伝子的には卵子精子の提供者こそが実の母・父である。にもかかわらず、法律上は育ての親だけが親として認められる。子供は自分の出自を知る保証がない。

 遺伝情報は大切だ。科学的には遺伝子により病気・障害・アレルギー・特性などを知ることができうる。それにより予防や、よりよい人生の選択ができる。なのに、この法律はその可能性を断ってしまう。子供に不利な法律なのである。

 その上、国だけは遺伝情報を把握できる立場にある。遺伝情報はきわめて決定的な個人情報だ。これを国に一方的に握られることは、生殺与奪の権利を握られたも同然である。しかも本人である子供自身は知ることができないのだ。

 国は世代を重ねるごとに少しずつ国民の遺伝情報を独占管理することが可能になるだろう。そして遺伝情報から直接的・間接的に、国民ひとりひとりの人生を管理・制御される恐れすらある。極めて不平等であり、国民が気づかぬうちに奴隷にさせられうる危機的状況である。

 なんなら少子化を理由にデザイナーズ・チャイルドをつくって、それを誰かに養育させるような事態になるかもしれない。さらに子供を売ったり、家庭内奴隷にされる恐れもありうる。子供が量産しやすくなることは、子供の不幸を生むことになる。

なぜ制定したか

 生殖補助医療法を定めた目的は、国が効率よく子供という奴隷を得るためだと思われる。

なぜ育ての親を親とするか

 法的・経済的に責任を負う者を明確にするためだと思われる。それにより法律は国民に奴隷を育てさせる脅迫材料となるのだ。逆らえば犯罪者である。精子提供者と養育者の間において混乱もなくなるため、ムダな争いがなくなる。効率のいい出産体制が整う。

 この法律を制定したのは為政者である。つまり為政者にとって好都合な内容のはずだ。

 為政者は、子供という奴隷を生産したい。国債を押し付ける奴隷が欲しいのだ。できるだけ優れた遺伝子をもった子供を、確実に育てたい。そのためには、優れた遺伝子を、優れた養育者に育てさせるのが最良である。

 優れた遺伝子をもつ者が、優れた養育者とは限らない。遺伝子的に優れていたとしても、育児放棄するような無責任者かもしれない。そこで、本人の合意を得て、精子卵子を得たり、子供を養子として受け入れる養育者を募るのである。生まれる子供以外は、合意の上なのでトラブルが少ないはずだ。

 精子卵子の提供者は、自分の遺伝子が残る可能性を増やせる。育ての親は、不妊だろうが同性カップルだろうが子供を育てるという夢が叶う。国家は、子供という奴隷を得る機会が増やせる。WinWinの関係だ。子供以外は勝者である。

 子供だけは敗者だ。なにせ子供は、国・法・親・産まれることの是非すら選べない。その上、出自を知る権利すら奪われて勝手に産み落とされるのだから。子供は未出生のため文句を言えない。よって誰からも配慮してもらえないのである。

立場 メリット
精子卵子提供者 自分の遺伝子が残る可能性を増やせる
養育者 子供を育てる夢が叶う(不妊同性カップル等でも可)
国・権力者 子供という奴隷を得る機会が増やせる
立場 デメリット
子供 選択権なし(出生の是非・親・国・法律)
出自を知る権利なし(情報弱者
義務を負わされる(奴隷)

 あとは子供を育てるだけ。国は民が途中で育児放棄したら養育者に責任を追求する。そのために育ての親を法律で親と定めたのだ。逆らえば犯罪者である。おかげで子供という奴隷を国民に育てさせる下地が整うわけだ。

 育ての親を親とする理由は、奴隷をきっちり最後まで育てさせるためだ。

 なお、精子卵子提供者なら養育義務が発生しないかといえば、そうとも言えない。結局、国の思惑に従わされるのが現実だろう。外国では以下のような実例がある。

精子提供者に養育義務が発生した実例

精子提供者に養育義務が発生した実例

 米カンザス州で同性愛の女性カップルに精子を提供した男性が、生まれた子どもの養育費負担を命じられた事件がある。州当局と法廷で争っているようだ。

 妊娠した女性が女の子を出産。その後、カップルが破局し、一方の女性は体調を崩して働けなくなり、州に生活支援を申し込んだ。これを受けて州は精子提供者である男性に6000ドル(約52万円)の支払いを命じたという。

 男性は精子提供するとき、産まれた子供に対する金銭的責任を負わないとする契約書を交わしたようだが、州当局は医師が介在していないことを理由に無効だと告げたらしい。

 恐ろしい話である。つまり、国は奴隷たる子供を男性に養育させたい。だからいかなる正当性があろうとも、男性に金を支払わせるということだ。たとえ文書として証拠を残していようが、国の思惑によって力づくで捻じ伏せられるのである。

 このことから全ての男性にとって、交尾はおろか、精子提供すら社会的リスクなのである。精子は身の破滅を呼ぶ。国や社会は男に寄生する。男性陣はこの現実をしかと把握すべきである。痴漢冤罪よりも恐ろしい現実が、ここにある。

 日本ではどうなるかわからない。法律の話である。おそらく、いかに多くの賄賂を渡したかで結果が変わるのだろう。世の中を動かすのは正当性などという曖昧なものではなく、カネという明確な力なのだ。この例では奴隷が欲しい国の政治的判断だろう。カネですら力不足なのだ。見せしめとして、男性が敗訴するに違いない。権力の乱用だといいたいが、これが秩序なのだ。

 私は男だが、こういうニュースをみると、もう絶対に女性に近づきたくないし、あらゆる関わりも持ちたくないと強く思う。あ、誰も近づいてこないし皆私を避けるからそんな心配なかったわ。HAHAHA! 安心感パネェ。ボッチ=絶対勝者。べつに悔しくねぇし。

合法的な托卵である

この生殖補助医療法は、合法的な托卵であるとも解釈できる。  托卵は、メスAがオスAと後尾して産まれた子を、オスB(メスBも?)に育てさせるという詐欺である。メスAは、育てる労力を被ることなく自身の遺伝子を残すことができる。生存競争において一方的な勝者だ。対してオスBは、育てる労力を注ぐもその子に自分の遺伝子は含まれない。一方的に搾取された敗者である。

 托卵との違いは、託される親側が合意している点である。騙されて育てるわけではないため、最後まで責任を持って育てられる確率が高い。そもそも現代は遺伝情報(DNA)を確認できるため、血縁関係があるかどうかも判明してしまう。よって騙しうちの托卵はリスクが高い。実際、最近は托卵が世界各地で社会問題になっている。今までは男がバカだからこそ世界は救われていたのだ。

 だが、日本ではDNA鑑定で托卵が発覚しても、男が子供を育てなければならない。科学より政治が優先される劣等国。男はたとえ子供に自分の遺伝子がなくとも、子供という奴隷を国家に献上すべく、ATMとして死ぬまで働くことを義務付けられているのである。日本の男はつらいよ

 そんなことで男が納得するわけがない。男にとって交尾は人生における最大のリスクだ。その後数十年の利益を吸い取られる。男が交尾を避けたくなるのも頷ける。男の草食化は突然変異などではなく、当然のリスクヘッジをした結果なのである。

 托卵は少子化の一因であろう。すでに托卵は国家が揺らぐ事態なのである。じつは托卵はかなり多いらしい。これを訴えられたら大変なことになる。社会が大混乱だ。かといって子供が産まれないと国が沈む。そこで、自分の子供でなくても育ててくれる最高に都合の良い養育マンが欲しいというわけだ。

 生殖補助医療法が確立した一因にはこのようなドロドロした托卵問題が背景にあると思われる。どこまでも国家の都合であり、子供をとことん奴隷視している。

 他にも、子供を無視した大人の事情が多数ある。これらを改善しないくせに無責任に出産することの悪辣さについて、真剣に考えるべきだ。

結婚(婚姻)

結婚とは国家を維持するための制度である

結婚とは国家を維持するための制度である

 結婚とは、家庭を作ることである。家庭とは、男女がつがいとなって協力し、子供を養育する組織である。家庭とは、国家の最小単位である。国家は、男女に子供を産ませ養育させることで次世代の担い手とする。これにより末永く国家体制を維持する狙いである。権力者は国債という借金を子供に背負わせ、そのカネで豪遊する。そんな社会体制を確たるものにすべく結婚という制度を法律で定めたのである。つまり社会という奴隷制度を永続・強化するため、結婚という制度があるのだ。

 そもそも、結婚とは人間関係や生活様式のひとつである。本来なら法律が定める結婚のあり方以外に、もっと多様なあり方があってしかるべきだ。そんな人間関係や生活様式を、当事者たちの意志すら無視して、国家の都合で強要されることは人生の支配である。

 この支配に納得できるかどうかは個々人の価値観や時代背景も関わってくるだろう。現代においては、すでに大きな歪みを生じている。離婚率に至っては33%らしい。法律が定める婚姻は、すでに現実性の薄い様式になってきた。それでも、あくまで結婚とは、国が民に子供という奴隷を出産・養育させるための制度である以上、大筋が変わることはないだろう。

生物学的

 男女が交尾して子供をなす。子供を次世代の労働力とする。子供をトラブルなく効率よく安定して生産するために、結婚という制度を定めた。

 トラブルの一例を挙げる。もし結婚制度がなければ、一人の女をめぐって男同士で争い、貴重な男手を失うことになる。しかし法律という大きな暴力を後ろ盾にした実行力ある制度をもって結婚制度を強要すれば、争いを事前に防ぐことができる。そこまでして争うことのほうが損失だと計算できる人間がほとんどだからだ。動物でさえ、実際にケンカせず威嚇行動だけで勝敗を決めることができる。人間も同じだ。

 仮に争うことになったとしても、事前に定めた法律という『正解』をつくることで、それに従わせることができる。世の中に正解などないから皆やりたい放題なのが実態だ。そこに無理やり法律という解をつくることで、ひとつの指針をつくる。さらに権力や暴力によって強制力をもたせることで、それを強いる。これにて男女間の争いを抑圧するのである。

 かくして国家は、男手を互いに殺し合うことで失うムダをなくしつつ、子供を効率的に生産させることが可能になる。

一夫一妻

 子供を生産する。その効率・確実さにおいて、一夫一妻が好ましい。もし一夫多妻なら、妻同士における嫉妬などでトラブルになり、その集団生活が崩壊し、子供の養育が成立しない恐れがある。また、夫一人の稼ぎでそれだけ多くの妻子を養える確率も低い。もし稼げるなら、子供や家庭でなく国に利益を多く献上させたい。そのためには別の家庭として納税させたほうが好都合なのである。よって、国家にとって子供を効率よく確実に生産するには、一夫一妻制が好ましい。

養育義務

 結婚したあとで離婚すると、夫には妻子に対して養育費を支払う義務が生じる。

 これは、社会通念として夫が出稼ぎをし、妻が家を守るという体制ありきの考え方に基づいている。その体制であれば、夫は離婚しても生活できるが、稼ぎのない妻子は生活できない。その弱みに付け込んで夫が妻子に暴力を振るうなど理不尽なことをしつつ、それでも妻は生活のため子供のために離婚できない、などという不平等な状態に陥る可能性がある。それでは結婚したがる女性がいなくなってしまう。

 これを回避するため、夫には養育費の支払い義務を負わせるのである。これにより、妻は離婚しても子供の生活費くらいは保証される。つまり夫婦間における違いを鑑みて、できるだけ公平にしようと試みた制度なのである。

 もちろん国家としては、子供という奴隷を養育させるため、夫に労働を強いたい。そのための養育義務であるというのが本来の目的である。国だけは結婚・離婚どちらに転んでも子供という奴隷を養育させることが成立する。国だけは一方的な絶対勝者なのである。

立場 結婚中 離婚後
夫婦に養育義務を負わせる 夫に養育費の支払いを命じる
妻子を養う義務を負う 子を養う義務を負う
家庭を守る 生活を守る
勝手に産み落とされる 国・親に振り回される

夫婦別姓

 日本では結婚すると、妻が夫の姓を名乗るのが一般的である。稀に逆もある。いずれにせよ、夫婦は同じ苗字を名乗るのが現代日本における社会ルールだ。

 しかしこれによって不利益を被ることがある。免許証の書き換えやクレカなどあらゆる契約に対する修正手続きがいる。さらに離婚率が高いと、離婚後にも同じ手続きが必要になる。男女間における不平等という点において社会問題になっている。

 そもそも、名前の自由すらなく国家のやり方に従わねばならないこと自体が不満だろう。手続きの大変さという実害もある。この不平等感が、結婚を避ける一因にもなっている。

男女平等?

 社会の機運として男女平等という考え方が出てきた。これまでは男尊女卑で成立していたが、最近では男女平等でなければ成立しなくなってきた。これにより、かつての秩序が崩壊しつつある。

 たとえば雇用機会。男性優位であるのが現実である。しかし国は少子化の影響もあり、女性の社会進出によって収入を増やしたい狙いもある。女性自身も、男性に頼らず自立したいと願う人もいる。さらにいえば貧困化の影響が最も大きいだろう。夫婦共働きせねば生活を維持できないというのが現実だ。

 女性の社会進出、夫婦共働きの社会になると、子供の養育に問題が生じる。子供は親にかまってもらえず、むしろ親は仕事によるストレスで子供に暴力を振るうなど、家庭環境が悪化する。そして子供はそのストレスを学校で発散する。他の子供を虐めることで。そして子供たちはイジメを苦に自殺するのである。そんな社会の中で子供は学ぶのだ。自分が生き残るためには、他者から奪うしかないのだと。そんな子供たちがやがて社会に進出していく。世の中は一層、殺伐とする。治安も悪化する。

 そんな社会生活をしていると、親も子も、生きる苦行に晒され、生きたくないし産みたくないと思うようになる。かくして少子化が進行。少しずつ若い担い手がいなくなっていき、社会が崩壊していくのである。

 現実を見れば、男女は違う。決して平等ではない。平等よりも公平・公正をめざすべきだ。しかし見本となるべき国が民に対して一方的な支配をしてしまっている。トップがイジメているのだから、あとは次々と弱い方へしわ寄せがいくようになるのは当然である。どこまでいっても弱肉強食なのだ。

結婚は幸せな家庭を築くこと?

 結婚が国家の支配体制だって? バカな。結婚とは幸せな家庭を築くことだろう? 愛する人と一緒に生活できるのだから、幸せなことじゃないか。

 夢と希望をもった人々なら、きっと結婚とは素晴らしいものだと考えるだろう。実際、物語などでは『人生のゴール』として目指すべき着地点であるかのように描かれることが多い。現実でも、もしかしたら幸せに暮らしている人たちも大勢いるかもしれない。

 だが、事実だけを見れば、結婚とは国家が法律で定めた制度なのである。そこには数々の義務がある。そして国家の実態をみれば、欲深いおっさんが豪遊するための支配体制なのだ。汚いおっさんが贅の限りを尽くすために、自分や自分の子供たちの人生が食い物にされる。それが結婚である。結婚とは『人生の墓場』だ。

立場 役割
男・女・子を支配し豪遊する
ATM。使い捨て労働力
産む機械
奴隷。先人たちの負債を肩代わりさせられる

性交を促す風潮

日本はエロを助長して奴隷をなす  現代の日本社会は、性交を促す風潮が強い。その目的は、少子高齢化対策という名の奴隷出産促進にあると思われる。世界に置いても日本は「HENTAIの国」と名高い。さらに「日本」の「日」から「ニ」をとったら「H本」になる。そのくらいむっつり大国なのである。

 日本はエロい。たとえば本・アニメ・ネット・ゲーム・広告などの媒体を通じてエロコンテンツが増えた。特に、電車の中吊りや新聞・雑誌・ネットなど多くの人の目にふれる場所でのエロ広告には、心底軽蔑する。さらにBLなどジャンルも多様化し、女性もターゲットになった。映画や物語でも恋愛モノは鉄板である。これらを通じて国民の性欲を刺激する思惑があるのだろう。また、それらはよく売れるので儲かるのである。

 酒・薬・女。国が民を動かす三種の神器である。

 ネットで仕入れた情報によると、最近は以下のような事も増えているとか。

ドラッグ・レイプ

酒に薬を盛ってレイプする事件が急増  酒に薬を盛ってレイプする。そんな事件が急増しているらしい。男性でも気をつけるべきだ。酒や薬を飲まされて財布からカネを抜き取られたり、個人情報を搾取されたりもするようだ。

 これを防ぐためには、以下のような対策が考えられる

  • 酒を飲まない
  • 飲み会に行かない
  • トイレに行く前に飲み物を飲み切る(薬を入れられないように)
  • 誰かから渡された飲み物を飲まない(「お前の酒は飲まない!」)
  • 自分の飲み物は水筒に入れて肌身離さず管理する

 もし人間関係をドブに捨てるなら「お前たちにレイプされる可能性があるから、お前の酒は飲まない」と断言する。「ワシの酒が飲めんのか!」と酒を強要する輩にはこれでいい。それでも強いるなら通報して強要罪として刑事事件にしてやる。他人をまきこんで大事にする。

 はっきりNOと断るのが怖い日本人なら、レイプされる覚悟で「トイレ行ってから次何飲むか考えるわ(だから勝手に注文して薬いれてそれを飲ませようとすんなよ?)」と暗に匂わせておく。それでも勝手に注文したり、水を渡してこようものなら黒と断定。はっきり言ってやる。

 すでに人の善意を素直に受け取れない社会になっているのだ。「自分さえよければいい」という風潮が強まり、「他人は自分が搾取すべき獲物」という感覚なのだろう。

 「酒は飲んでも飲まれるな」というが、この標語は古い。「飲んだら運転するな」も常識。だが、すでにそんな次元の話ではない。酒や体質の話ではない。甘えでもない。問題の本質は、人の悪意である。国の陰謀である。新たな標語は「酒を飲むな。酒税を国に納めるな」である。

 「酒も煙草も女もやらず百まで生きた馬鹿がいる」という都々逸がある。これは人生の楽しみを知らずに長生きしてもつまらないことだという趣旨らしい。だから命を縮めても好きなように生きるべしという意味なら同意する。
 深読みするなら「酒・煙草・女をやってバカにならないと人生が苦痛すぎてつらい」という泣き言にもみえる。でも泣いても仕方ないから無理やり笑おうとする。誰かをバカにすることで無理やり笑いにする。そういう意味なら、やり方以外は同意する。
 字面通りに受け取るなら、人生の楽しみとして酒・薬草・女が代表格になるのがわからない。私はどれもやらないので馬鹿とういことになる。筋トレやプログラミングが人生の楽しみで何が悪い。アル中の正常性認知バイアスからはじまる自己弁護にすぎない。さらにいえば、国民を支配する三種の神器をヤらせることを強いる同調圧として、この言葉を布教した可能性すらある。「え、お前って酒も薬草も女もヤってないの? ダッセーwww」と煽ってヤらせる算段なのだ。そして酒税や奴隷を確保する目論見なのである。やることがまったくもってゲスの極みだ。他人の脅迫によって強いられることはすべてつまらない。自分の好き勝手にやることはすべて楽しい。

 ジャニーズのグループであるTOKIOのメンバー山口達也の強姦事件はまだ記憶に新しい。彼ら特権階級は、刑事事件にされず民事で済まされる。「容疑者」でなく「メンバー」と呼ばれる。酒のせいだと主張し人格非難されない。どこまでも甘く特別扱いなのだ。罪悪感や倫理などアテにならない。法律すらアテにならない。

 すべて国民は法の下に平等。これは日本国憲法における条文である。しかし実態は違う。特権階級の者たちはその罪と罰を免れるのである。これが自称法治国家の日本であり国であり社会だ。民は国にレイプされている。

 そんな国を、酒税を納める形で支援する? そんなあなたはレイプ支持者である。私の敵だ。

反社会勢力

性を食い物にする社会  酒を飲ませて「100万円の酒やぞ!」とキレて借金を背負わせ、水商売させてピンハネする。

 たとえばそんなようなビジネスがある。こういうことをする組織が拡大しているらしい。世も末である。

 ターゲットは田舎から出てきて女子大生になる新1年生らしい。年齢的にも合法だからだろう。

 ご存知のとおり、芸能・スポーツ・マスコミなど各業界とも深いつながりがある。性はカネになるのだ。

パパ活・ママ活

性の個人間取引(CtoC)が盛んになった  パパ活・ママ活とは、いわゆる売春・買春である。援助交際ともいう。一方がカネを払うことで、一方が体を売って性交する。

 以前からマッサージとか耳かきなどの名目で同様のことをする業者はいた。さらにその前からはキャバクラやらホストクラブやらもあった。しかし最近では、さらに多様化・個性化している。それがパパ活・ママ活である。ネットの発達により性の個人間取引(CtoC)が増えたと言えるだろう。

 パパ活は、女性が体を売って男性からカネを受け取ること。ママ活は、男性が体を売って女性からカネを受け取ること。マッチングはネットを介して行われるらしい。

 さらにコロナが蔓延したことで不倫も増えているとか。ソーシャル・ディスタンスにより一人で行動する機会が増えたからだろう。

 コロナ感染が拡大したことで風俗の利用も社会問題となっている。感染源として札幌のススキノが挙げられる。風俗店が多数ある。つまり性交という濃厚接触によってコロナ感染が拡大したのである。

 日本は性に奔放になった。こうして望まぬ妊娠が増え、シングルマザーが増え、貧困化が進み、児童虐待やイジメが増えていく。今やコロナの問題もある。性の乱れは社会崩壊の兆しである。

性知識の欠如

日本はピル後進国である  性知識の欠如により、強姦され、望まぬ妊娠をし、その子供が虐待される。そんなケースがある。

 もし性や犯罪の知識があれば、予防や対策ができる。なのに、性知識を身につける機会が少ない。その上、性欲を刺激するコンテンツで溢れかえっている。明らかに国家の陰謀である。

 (そもそも、知識を身に着け身を守らねばならないこと自体がおかしい。だが、現に日本はもうそこまで落ちている。現代の日本は、強姦されることを前提にして考えねばならない社会なのだ。)

 犯罪までいかずとも、一般的な性知識ですら情報弱者なのである。

 たとえば避妊するときはゴムをつけるべきと言われる。だが、ゴムはおもに性感染症予防として用いるものだ。避妊するならゴムだけでは心もとない。ピルを併用すべきである。ピルにはPMS軽減などの効果もある。詳細は割愛。

 しかしピルには多数のリスクがある。ピルが体に合わない場合もある。変態医者から避けるべくレディースクリニックに行きたくても、数が少ないし費用も高い。そもそもピルは日本において諸外国より入手しづらい。低容量ピル後進国なのである。

 個人の知識だけでなく国としての対応も遅れている。このことが性被害を拡大させている。国としてはどういう形であれ、子供という奴隷が出産されればいいと思っているのかもしれない。あるいは生殖補助医療法により、望まれない赤子をどこぞの養育者の手に渡って育てられたらいいと思っているのかもしれない。「交尾促進+赤ちゃんポスト+生殖補助医療法=奴隷量産」である。

 なお、私のような非モテ陰キャクソボッチ童貞にはまったくもって生涯無縁の話である。すべてネットから得た知識であり、一切の責任をモテない。

童貞・処女を侮辱する風潮

同調圧で性交を促す  なぜか童貞・処女はバカにされる。少なくとも、バカにされると思っている人たちが多数いる。また、そう思わせるようなコンテンツが多数ある。

 これは国が奴隷を産ませるための陰謀である。また、性を売り物にして経済を潤わせたり、家庭を作らせて納税させるなどの目的がある。

童貞

 考えたことはあるだろうか。なぜ童貞はバカにされるのか。女から評価されず、女をモノにできない。つまり、男として無知・無能・無力・無価値である証拠。よってバカにすべき。そう考えれば、童貞をバカにする理由もわかる。

 童貞差別はマウンティングの一種である。そこにはジェンダーフリーという概念すらない。それどころか、奴隷量産させるためのプロパガンダなのである。それに気づかず理解・納得せず、他者をバカにするほうがバカなのだ。

 「男は種付すべきものである」という確たる固定観念がある。これを社会通念とし、常識にし、実現させることで、子供を産ませ、働かせ、年金や国債を支払わせる支配体制を世代に渡って末永く確かなものにしようと目論んでいるのである。

 「童貞はバカにし排除すべき」という価値観を植え付ける。これにより人々は性交に走る。成功した者は失敗者・未成功者をバカにして二度キモチイイ。

 失敗者・未成功者は自分も他者をバカにする立場にならねば、社会から排除されてしまう。なぜなら童貞はバカにすべき非国民だから。自分が童貞だったら迫害対象にされてしまう。社会において自分の居場所がなくなる。人は独りでは生きていけない。社会に参加できなければ死ぬ。社会に参加するためには性交する必要がある。死んでも性交せねば命に関わる。つまり、童貞をバカにする風潮を蔓延させることで、生命の危機を感じさせる。それにより国民たちの性交を強制的に促すのである。

 「男は種付すべきものである」という確たる固定観念があり、それを実現するために社会圧力としてモテないことを皆でバカにするのだ。同調圧に耐えられず、承認欲求と性欲に屈し、自らの価値観で判断できない弱者は、とても童貞のままではいられない。童貞こそが自律した強者であるという考えに至れない。かくして彼らは童貞という自律と自己決定の証を捨ててしまうのだ。それを卒業しためでたいことだと見当違いのことをいって自己正当化するのである。

 国や為政者は、出産できない人を「生産性がない」と無価値判定している。このことから、権威にすがる権威主義者や、長いものに巻かれるタイプの人は、童貞を劣等人種扱いするのである。自分の頭で考えることなく、ただ権威者にひれふす。

 彼らは己の弱さを顧みることなく、他者に転嫁する卑怯者である。こんな奴らの言葉に従うなど、私には理解できない。そもそも、私は性交を無理強いしてその責任を転嫁する社会になんて死んでも所属したくない。人をバカにすることで自分が生き延びようとするクズになりたくないし、そんなクズと一緒に居たくもない。死んだほうがマシだ。

 だが、大抵の者は権力者や大衆に屈服する。自らの性欲にも負ける。かくして人々は交尾し繁殖をなすのだ。知識もなく支援もなく犯罪にまみれていることも知らず、支配を受け入れる。

 私は絶対にこんな腐った国や人間どもの思惑どおりになりたくない。私がどうするかは私が考え決めたいからだ。決して社会や本能の指図など受けてたまるか。クソ喰らえだ。死ぬまで反発しつづけてやる。

 童貞+ボッチ=自律できる人なのである。自分で考えてみると、これだけ膨大な社会的リスクがある性交なんてしたくないし、その後の搾取される人生も容易に想像できる。たとえ社会や全世界を敵に回しても、私は自己決定する。童貞を貫いてみせる。この尊い志をもって、性なる夜に聖戦を挑む。

処女

 処女はまだ童貞よりもバカにされにくくマシだと思われる。むしろ男の処女信仰があるから場合によってはステータスにさえなりうる。だが、同性同士においてマウンティングのターゲットになることもあるようだ。あるいは、男から相手にされないから女として無価値と考えるのかもしれない。

 いずれにせよ処女をバカにする理由は、童貞のときと同じだ。子供を産ませるべく、処女であることを恥だと刷り込むことで性交・出産させようと目論んでいる。この同調圧・脅迫・支配に屈して体を明け渡せば、死ぬまで国にしゃぶられる。その子供までも。

 結婚することが女の幸せだと決めつけてマウントをとりにかかるおば様方がいらっしゃる。おそらく彼女らは人生の墓場である結婚という沼に、若さあふれる幸せに見える人を引きずり込もうと企んでいるのだ。嫉妬である。

 「なんで私だけこんな不幸な目に合わねばならないの! キー! そうだわ、あの小娘も不幸のどん底に貶めてやりましょう! そのために結婚しろ圧をかけてやるのよ! ヒャッハー!」みたいな心境に違いない。そして小娘が結婚して不幸になった様をみて溜飲を下げるのである。「ざまぁwww」と内心思っているのだ。死なばもろとも。一家無理心中。無差別殺人テロである。

 男性優位の社会において、閉塞した女性社会を生き残るためには、処女を保つことが難しい。貞淑であることが同性の嫉妬を買うことになり、イジメられる可能性すらある。女性は男性とは違った意味で、操を守ることが難しい立場なのかもしれない。

 いずれにせよ、国や他者が自己決定を邪魔しようとしてくる点においては共通である。つまり国や他者は自分から自分を奪う侵略者なのだ。

性なる夜

性欲で神を忘れた人々  メリークリスマス。今宵、性なる夜は、恋人同士が愛を確かめ合う特別な日だよ!

 違います。クリスマスはイエス・キリスト様、神が産まれた日です。生誕祭です。断じて性欲を満たす日ではありません。七面鳥を食べる? とんでもない。敬虔なクリスチャンは贅沢をせず、慎ましく過ごす日です。そんな崇高な日を、性欲で汚す日本人のなんと下劣で下品なことか。イベントにかこつけて物販にいそしむ欲にまみれた汚物どもめ。恥を知れ。

 日本はクリスマスという神聖な日でさえ、人々の性欲を刺激し、奴隷を産出させる機会にしてしまう。そのためなら史実や宗教さえも平気で偽り汚す。神すら汚す冒涜、ここに極まる。さすがHENTAIの国である。この国のどこが美しい国なのか。どこが黄金なのか。どこが日いづる国なのか。失笑を禁じ得ない。

 日本のクリスマス戦略は欲望に渦巻いている。サンタクロースにまつわるキレイゴトさえも汚れてみえる。無知な子供をダシにした大人の汚さが顕著に現れる。ここでも子供たちが犠牲になる。

 たのむから自重してくれ。お前ら汚すぎ。なにがチキンだ、米食え米! 恋人? 独りで過ごせカス!

子供の意思は最もないがしろにされている

 注目すべきことは、子供の意思が最もないがしろにされている点だ。当たり前である。なにせ子供はまだ産まれていない。生まれる前に意思確認や合意など得られるはずがない。よって、親や国など先人たちが自分勝手な都合で出産するのである。その身勝手さの一端を正当化・合法化・効率化したのが、この法律だ。

産み落とされる子供のリスク

 親を選べない。国を選べない。出自を知る機会も与えられない。自死の自由もない。なのに国から労働の義務を負わされる。そう、子供は奴隷なのだ。奴隷として産み落とされることが確約された社会の中で、子供は生きていかねばならない。もはや産まれること自体がリスクを超えた損害なのである。私はこんな社会になど産まれたくない。かなうことなら産まないでくれと声高に叫びたい。出産を拒否できるなら拒否したい。

  • 選択権なし
    • 出生の是非を選べない(出生前に「産まれたくない」と意思表示・拒否できない)
    • 自殺できない(尊厳死安楽死が許されず自殺の自由もない)
    • 親を選べない
    • 出自を知る権利がない ← NEW !!
    • 国を選べない
    • 法律を選べない
  • 義務を負わされる
  • 負債を負わされる
    • 先人たち自体(老害
    • 先人たちが残した国債
    • 先人たちが汚した地球環境
    • 先人たちという汚物の血脈をついだ自分たち自身

 産まれたくて産まれたわけでもないのに、生きる苦行に晒される。尊厳死すら許されない。自殺の自由がない。なのに国家の支配を受けて義務を負わされる。事実上、奴隷である。ここに自由はなく、自己決定権すらない。あるのは先人たちが残した無責任さの末による負債だけ。これを子どもたちが肩代わりして返すことを義務付けられている。この救いようのなさよ。子どもたちは絶望すべき地獄に産み落とされたのだ。それを自覚できる頃には、教育という名の洗脳が施されている。逃げ道はない。

 この法律は、国家が国民に子供という奴隷を効率よく生産させるための法律なのである。自分たちの負債を子孫たちに押し付ける。それを実現するために、子供を効率よく出生させようとする法律だ。つまり本質的には、責任転嫁するための法案なのである。子孫たちには大人たちの負債を背負うことが約束されている。産まれたがる子供などいるはずがない。かわいそうに。

 子供たちが出生を拒否できないなら、私たち大人が産むことを拒否するしかない。あるいは、産まれてきてよかったと思える社会を作るしかない。そのどちらもせず、あろうことか子供たちにすべての負債を背負わせるのが現実の社会である。本当に子供たちが可哀相でならない。

産む資格

 子供を蔑ろにし、自分の都合で子供を奴隷にする国家や親たちに、子供を生む資格はあるのか?

 ない。あるわけがない。

 性欲に負け、その責任を転嫁。しまいには自分の責任をその子供たちに押し付ける始末。こんなクズの血脈をついだ子どもたちもまたクズである。自己否定せず自己肯定すれば、クズの連鎖は止まらなくなる。今こそ我々は絶滅すべきなのだ。さあ、清く正しく滅びよう。まずは去勢から。

 べつに他人が交尾しようが産もうが、どうでもいい。ただ、私は絶対にしない。自分の血は自分の代できっちり終わらせるべきだと強く思う。

子供の奴隷促進法案である

 この法律は、子供の奴隷化を促進する法案である。

 DNA鑑定により托卵という生存戦略が通じにくくなってきた現代において、合意による養育者を募るというのは一定の合理性がある。それで幸せになる人もいるだろう。だが、そのせいで肝心の子供が一番蔑ろにされている。すべての負債を一身に背負わされている。それが看過できないのだ。もっと子供が被る被害について、真剣に考えて欲しい。

 子供を大切にできない社会なんて滅びるべきだ。

 子供を大切にできない大人なんて死ぬべきだ。

 子供を大切にできない種はいずれ滅びるだろう。

 効率とか合理性などといっているが、自分勝手な都合でしかない。自己正当化よりも、もっと未来のことを考えようよ。悲しくないの? 子供に背負わせて楽しい? 嬉しい? 気持ちいい? 私は不快極まりない。自分が情けない。何もできないのが悔しい。そんな自分に怒りを覚える。絶対にこれを良しとするクズどもに迎合しない。徹底的に反発してやろうと強く思う。反対する意思をはっきり示してやる。ヤダ!

断固反対

断固反対

 私たち先人は、これから生まれる子孫たちを蔑ろにしすぎている。これは明確な搾取だ。私は断固反対する。

 こうも子孫から搾取する国家だと、未来に希望がもてない。どうせ国は自分たちから搾取することしか考えないんだと思うようになる。そんな社会に貢献なんてしたくないと思ってしまう。むしろ、ぶち壊すべき敵だとさえ思うようになる。その反乱は権力・武力で無理やり抑え込まれるだろう。

 そんな国で生きたいか? 産まれたいか? 産みたいか? 否。生きたくもないし産まれたくも産みたくもない。こんな状態で国家なんて成立するはずない。人類が繁栄するとも思えないし、繁栄すべきとも思えない。滅ぶべきだと思う。皆死ねばいいんだと思えてしまう。

 私はそんなふうに思いたくない。ならどうする?

 もっと子孫たちのことを考えるべきだ。子どもたちには負債を背負わせるのでなく、希望を託したい。具体的には知識・技術・生活環境を。少なくとも国債を発行し、それを子孫たちに押し付けるようなことはやめたい。自分のケツを自分で拭くことすらできずにいる今の私たちは、生きる資格も、産む資格もない。死ぬべきである。去勢すべきである。性なる夜を破壊すべきである。

 最低でも地球環境における問題について、自分たちにできることをすべき。だが現実は、汚染し、地球や他者に依存しきった生活をやめない。もう本当に人類は滅ぶべき悪種であると心から思う。ああ、早く汚染源である人類滅びないかなぁ。

 私には大きなことはできない。せめて反抗の意志をここに示す。

まとめ

 生殖補助医療法は、21世紀の『産めや育てや』である。私は産まれた子供を奴隷にする人間や社会に断固反対だ。それがなければ良い点もあると思うのだが。今の社会は子供を産みたくなくなる理由ばかり増えていく。もうこれ以上、人間を嫌いたくないのに。国は人を使い潰してカネにすることしか考えていない。ああ嫌だ嫌だ。

 以上、聖夜にささげるメリークリスマスな記事でした。恋人たちの幸せを阻むため、明確な悪意をもって書きました。お前たちの幸せが生む世界の不幸を考えて末永く爆発しろ。

免責

 私は法律について何も知らない。書いている内容は私の個人的な考えであり偏見と被害妄想に満ちている。一切の責任を持てない。

対象環境