弱者男性という言葉が話題になっているらしいので調べてみた。
弱者男性とは?
定義は曖昧なようだ。ただ、「差別されている男性がいる」という指摘が主旨らしい。くだけた感じにいえば「キモくて貧乏なオッサン」への差別である。その特徴として、次のようなことが挙げられている。
- 過労
- 自殺
- 貧乏
- 童貞
- 低学歴
- ロスト・ジェネレーション(30〜40代)
弱者男性とは、ブサイク、キモイ、クサイ、モテない、童貞、貧乏などの特徴をもったロスジェネの男性である。
氷河期世代であり、リーマンショックのシワヨセを喰らった年代。上の人間によって使い潰された。ウツ、過労死、過労による自殺がはじまった世代。ニートやひきこもりが増えた世代でもある。今なお社会の底辺で使い潰されており、さらに年長者や若者など、分け隔てなく誰からも見下されている。
日常生活において近寄りたくない存在である。差別するのは当然であり自然だろう。
どうみても私のことです。本当にありがとうございました。
弱者男性ができるまで
- 政治家、官僚などが権威主義をふりかざして民から奪う
- 企業の権力者が、下っ端から搾取する
- 労働者の男性は、弱者男性になる(過労、貧乏、無気力)
上が下に甘えた結果である。堕落した現代人は、差別し、弱者をつくり、搾取することでしか生きられない無能なカスである。私たちのクズさ無能さが弱者男性を生み出したのだ。
と、個人的には思っている。
弱者男性ができたあと
- 労働者の男性は過労死する
- 労働者の男性は過労で自殺する
- 労働者の男性は過労でウツになる
- 労働者の男性は過労でウツになり底辺になり貧乏になり女性から見放され無気力になり労働者が消える
- 労働者の男性は過労でウツになり底辺になり貧乏になり女性にDVし、女性は子供を虐待し、民が消える
「働いたら負け」という言葉は、真理であった。
差別の原因は?
いくつかの説があるようだ。
「男らしさ」?
石川洋明の「男らしさに関する実証的研究」によると、男とは次のようなものだというのが社会通念だという。
- 男は経済力や忍耐力をもつべきだと思う
- 男は仕事ができないとメンツにかかわると思う
- 定職についていない男性は一人前でない
- 仕事の出来ない男は女よりも肩身が狭い
男とは、仕事ができてあたりまえなのである。
「男のくせに、そんなこともできないの?」などという言葉を耳にしたことはロスジェネなら誰にでもあるだろう。口にしたことすらあるに違いない。それが社会の常識であるからこそ、男性は「できない」とか「助けてくれ」と声を上げることができない。なぜなら、それを言ったとたん「男のくせに」と叩かれるから。男性が助けを求めることは、社会から抹殺されることなのだ。
性経験のなさ?
日本には昔から、性経験の有無で差別される実態がある。
- ヤラハタ
- 魔法使い(30歳以上の童貞)
- 中年童貞
- 「金、薬、女、殺しをやって一人前の男だ」
- 「えっ、マジ童貞!? キモーイ! 童貞が許されるのは小学生までだよね! キャハハ!」
「えっ、お前まだ童貞なの?」みたいなマウンティングは若かりし頃にあるだろう。
金、薬、女、殺し、などはつまるところ、生物としての本能こそが正義ということだ。「力こそ正義」「我こそが正義」ようするにエゴである。生物とはそのようにできているのだから、どうしようもない。ならば、本能に従うことこそが正解だという考えだ。だれにでも本能はもっているため、皆の共通認識になりやすい。同意も得やすいから、数の力も得て、社会通念になる。かくして童貞差別が生まれた。私たちは本能によって童貞差別をする宿命にある獣なのだ。
女性でいうと「え、結婚していないの?」という圧力をかけられることに相当するだろう。政治家が同性愛者に「生産性がない」というのと同じだ。立場がかわり、言葉もちがえど、エゴに従い生きているという点は共通している。人は差別せずにはいられないのだ。
問題
弱者男性のなにがヤバイのか。
矛先が女性にむかう
弱者男性の中には、ストレスの捌け口を女性にむける人がいるらしい。
インセルの特徴に似ている。モテない男性が女性を憎悪し、ネット上で女性への文句を垂れ流す人たちだ。2,3年前、話題になっていた。
シワヨセは常に、より弱い者へと向かう。おそらくDVされた女性は、さらに弱い子供への虐待をすることになるだろう。コロナ渦によって増えたとされている児童虐待は、その上にいる男性が差別されるようになったから加速したのかもしれない。
あるいはママ友の中で階級をつくるかもしれない。ママ友にカネの管理までされて自分の子供が餓死したという事件があったのを思い出した。はたして男性の関与があったかはわからないが。あれは創価学会員だったことによる搾取だったか。
働き手の減少
男性の働き口が減っている。情報化社会によって力仕事の需要は減った。かわりにデスクワークが増えた。頭脳労働である。
男性はいるだけで嫌悪感をもたれる。腕力があることで、恐怖を感じやすい。自然と排除される。武力が必要なものなら理解されやすいだろうが、デスクワークに不要なら、イキる男性など害でしかない。男性らしさがなければ蔑視されるし、男性らしさがあれば恐怖され排斥される。かくして社会から男性は駆逐されてゆくのだった。男性の草食化は、時代への順応だと思う。
ロスト・ジェネレーションの男性を使い潰したせいで、次代の担い手がいなくなった。技術の継承がなされなかった。かくして日本は衰退の一途をたどるのだった。
私見
奴隷社会への回帰
問題の本質は差別だと思う。とくべつ男性にかぎった話ではない。これまでは女性、老人、子供が弱者であったが、いまや男性すらも弱者になったということだ。それだけ権力が偏ってきた証拠だろう。古よりつづいてきた身分制度、奴隷社会への回帰だ。
政治家や官僚の汚職がとまらない。IOCや日産、GAFAなど経済的強者の支配がつよくなる一方だ。中国は武力侵攻の姿勢をつよめた。そんな中で、庶民である男性にそのシワヨセがやってきたということだろう。これからさらに悪化すると思われる。
官と民の戦いがはじまる。乱世。
社会があるから差別がうまれる
社会は差別構造である。いまや世界はすっかり右傾化し、権力によって搾取するのが当たり前の社会だ。グローバル社会なので世界規模であるため、差別もまた、多様で多層なものになっている。イジリ、イジメ、ハラスメント、DVなど名前をかえてごまかしているが、すべて人権侵害である。
差別がうまれる原因は社会だ。もし一人で生きていれば差別など生まれるはずもない。人が集まると差別が生まれる。能力の差はあるし、有能な人間を利用して楽して儲けたいと思うものだ。やがて人の数が増えると質を問わなくなる。とにかく他人を働かせ、その上澄みを掬って甘い汁を吸いたい。他者に苦労をせおわせ、自分は楽をしたい。自分にとって思い通りになる他人、すなわち奴隷がほしい。人は奴隷をつくりたいから差別するのだ。
差別は社会性の一種である
人は集まると差別するものである。ならば、もはや差別は社会性の一種とすらいえるだろう。そんな人間を嫌悪し、軽蔑する。そんな本能をもった生物をおぞましく思う。生きるということが、如何にクソであるか思い知らされる。
改めて、生きたくない、産まれたくない、産みたくないと思った。
「人権」の概念がない日本
日本には人権の概念がない。権力者が一方的に搾取することが当然の風潮である。同調圧、忖度、そして民主主義すら崩壊した強権行使。法律すらも自分たちに都合よく変えている今、差別はより一層つよくなってしまうだろう。
入管法をみてもわかる。国民の人権すらない今、入管法によって政治難民の扱いがより一層、劣悪になるのも避けられないだろう。いかに日本が権威主義(差別主義)であるかを知り、あらためて軽蔑の念を覚えた。
五輪でもおなじ。コロナ渦で民が死にまくっているのに、国やIOCはオリンピックを強行する。どれだけ民が死のうが、私たちからカネをむしり取りたいのだ。もはや敵愾心しかない。戦わねば奪われ、殺されてしまう。
どうすればいいの?
- 戦う
- 逃げる
戦う。権力者、差別主義者、力ある者と戦い、ねじ伏せる。あるいは死ねば解決する。戦って死ぬのが救いだろう。
弱者男性に女性をあてがうなど、的はずれな意見もあるようだ。フェミニズムだかなんだかわからないが、性別を基準にして考える人たちがいるらしい。どうせ人は関わるとトラブルになる。悩みのほとんどは人間関係だというのだから、人間などあてがわれたところで、新たなトラブルの元でしかない。性別ごときで解決する問題じゃない。
独りで生きれば差別もなくなる。社会、権力者、他人から距離を置くのがよいだろう。
セルフケアしろという意見もあるようだ。自己責任論というやつである。それしかないという意味においてはその通りだと思う。ただ、人は自分のことすら自分だけでは満たせないから、差別し、奴隷をほしがっているのだ。セルフケアというが、そもそも社会や他人というダメージ源がある以上、圧倒的人数差をもって叩きのめされてしまう。「一人で生きろ」と言っているのと同じくらい無謀な話である。なにも言っていないのと同じくらい役に立たない。
どれも簡単にできそうにない。だからこそ皆、他人を差別して楽しようとするのだと思う。そんな人という種を、心から軽蔑する。私自身もそんな人間の一人なのかと思うと死にたくなる。消えて無くなりたい。地球爆発してくれ。みんな死ねばいいのに。