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特措法の妥当性と実効性について考えてみた

 2020-05-11、日本は新型コロナウイルスに対する法律を制定した。これには自由を阻害する内容が含まれている。はたして妥当か。また、罰則という手段で実効性があるのか。

特措法

  • 全国民は国からの入院命令に従わなかったり病院から逃げたら50万円以下の罰金を科す
  • 飲食店は国からの時短命令に従わなければ30万円以下の罰金を科す

疑問

  • なぜカネ取るの? カネとってコロナが収まるの? 
  • なぜ企業より個人のほうが過料が高いの?

なぜカネ取るの? カネとってコロナが収まるの? 

 そもそも、入院拒否、時短拒否といった理由で国民からカネをむしり取る合理性がない。カネをとっても感染防止に寄与しない。罰金とコロナ感染には何ら因果関係がない。

 もし国民の命と健康を守るなら、むしろカネを与えるべき。コロナに感染してしまったら治療費がかさむし、働けないから収入もなくなる。どうしてそんな彼らから生活に必要なカネを奪うのか。まったくもって理解できない。ただし、次のように考えればあっさり理解、納得できる。

 国は民の命より政治家の利益を求めている。

 つまり政治家や官僚などの特権階級どもが、民からカネをむしり取るビジネスとして、特措法が制定されたと考えれば筋が通る。コロナの感染拡大を防止するというのはあくまで大義名分であり、その実効性は低い。末永くコロナを蔓延させ、それをダシにカネ儲けするというカラクリだろう。

罰すべきは政治家である

 罰したところでコロナは収束しない。つまり特措法はコロナを収束するための合理的な対処ではない。カネをとったところで収まらない。滅菌しないかぎりコロナは消えない。しかしそんな術もない。

 感染拡大を防止するためには対人接触を減らす必要がある。その対策のひとつとして飲食店の時短命令があるのだろう。だが、もしそうであれば、GoToで旅行を促したり、五輪で世界中の人々を集めるほうがよほどコロナの感染拡大を助長することになるはずだ。しかもそれらの行事は国が大々的に行っており、海外からも人を呼ぶため、国内の飲食業務より明らかに影響範囲が大きい。

 感染者を罰するより、飲食店を罰するより、GoToや五輪をやめるほうが感染拡大を防止する効果が高いはずだ。なのに国は民を罰し、GoToと五輪を強行する。

 国がやっていることは矛盾しているのだ。経済とのトレードオフといえど、なぜ五輪によりゼネコンなどの特定の業界は優遇され、特措法により飲食店や感染者を罰するのか。コロナ感染拡大防止の観点からみて、その合理性は皆無である。むしろ影響範囲の大きさからして逆にすべきだ。五輪やGoToを罰し、飲食店や個人をサポートすべきである。

 そうしない理由はもちろん、権力者たちとの利害関係だろう。彼らは税金を使って自分たちが儲かるような事業を優先して行っている。そしてそれ以外を罰しているのだ。もしコロナ対策として遂行するなら、むしろ逆にすべきなのに。

 罰すべきは政治家である。政治家たちは国民が自粛している中で会食による接待をくりかえしている。コロナの感染拡大を助長している。特措法を制定した彼ら自身が、法を犯しているのである。彼ら権力者こそ罰すべきであることは明白だ。罰するならまず、政治家を罰せよ。それこそがコロナ蔓延防止の第一歩に必要なことだ。

飲食店は見せしめの犠牲になったのだ

 飲食店という限られた業種で、さらに時短営業というわずかな対処のみ。これは経済活動への打撃を最小限にする狙いがあると思われる。もし全業種を対象としたら経済活動が萎縮してしまう。もし休業を余儀なくされたら破綻してしまう。なので飲食店のみ時短命令に従えという限定的な内容なのだろう。

 コロナ対策としては効果が薄い。なにせ人々は飲食店以外にもスーパーやコンビニのほうが多く集まるだろうし、風俗店のほうが濃厚接触する。書店には皆が手にとる本がある。病院なんて感染者がいる施設なのだからそれこそ感染リスクが高い。どう考えても他の業種だって感染リスクがある。むしろ他の業種のほうが危険だとすら言えるものまである。なのに飲食店のみ狙い撃ちにするのは合理性に欠ける。つまるところ「見せしめ」だ。恐怖や心理的圧力をかけるのが特措法の狙いだと思われる。

 心理的効果においても特措法は害悪だ。特措法により罰を与えることは恐怖を増幅させパニックを助長する。政府はしばしば情報公開しなかった理由を「国民のパニックを避けたかったから」などとのたまうが、特措法における罰はまさに恐怖を与えパニックを誘発しかねない。彼らの言によればやめるべきである。しかし特措法は短期間で可決された。政治家たちはいつも国民のためだとか、国民のせいだとか言って他人のせいにしたがるが、その実、彼らは自分たちの都合を最優先しているのだ。民はいつもその犠牲になる。

 政治家の狙いは経済活動である。もし全業種を休業させてしまえば停滞し崩壊する。かといって何の対策もしていなければ、自分たちの存在意義がないと批判される。なのでコロナ感染防止の効果は薄くとも何らかの対策を打ち出すことで、とにかく経済活動を回したかったのだろう。できるだけ自分たちの利益が最大化する方法だったのだろう。だから五輪やGoToは強行し、飲食店や個人を罰するのだ。コロナ感染防止という観点においてはまったくの不合理である。特措法は政治家の利益を最大化するという観点において合理的なのである。

強制入院という迫害

 入院拒否した個人からカネをとるのは非合理な略奪である。もしGoTo旅行や五輪など「不要不急の外出」によって感染したなら罰則を与えるのも一理ある。しかし、感染した事実だけでもって罰則を与えるのはおかしい。生活に必要な行動のみだったのに感染した場合は、むしろサポートすべきだろう。それでも国は感染者を罰する。これは明らかに差別であり迫害だ。

 国の行動は矛盾している。なにせ国はコロナが蔓延している中、GoToで旅行を促したり、五輪を強行している。そんな不要不急の外出を促しておきながら、いざ感染したら入院を強制したり、逃げたら罰を与えるというのだから。

 政府のダブルバインドによって、民は一方的な不利益を被っている。なにせコロナ感染していないときは感染リスクがある不要不急の外出を促されており、自ら外出せずとも国がGoToや五輪を強行するせいで他人たちが外出する。その影響で感染するかもしれないのだ。なのにいざ感染したら感染経路を問わず一方的に罰せられる立場なのである。

 国のほうから不要不急の外出を促しておきながら、いざ感染したら罰する。それはもう、とにかく感染させて罰してやろうということだ。それを避けたければ自粛しろという二枚舌である。

 政府が矛盾した政策を打ち出したせいで、コロナ感染が拡大した。自粛もさせず、マスクやソーシャルディスタンスという効果の薄い対策をして外出するせいで感染者が増え続けているのが実態である。なのにそれでも外出させようとする。経済のために。つまり国にとって民はカネを回すための奴隷なのだ。

政治家にとってコロナはビジネスチャンスである

 コロナ渦の中、政治家や官僚たちが会食して接待を受けるのも、五輪を強行するのも、カジノを作ろうとするのも、議員年金を復活させようとするのも、国民年金をさげるのも、食品などが値上がりするのも、すべて国民の死に直結する。そしてすべて権力者の利益につながっている。

 政治家にとってコロナはビジネスチャンスなのだろう。国民から略奪する大義名分としてコロナを利用しているのだ。特措法はコロナの感染拡大を防止するのに合理的な政策ではない。コロナ渦の中でいかにカネを回すかが目的になっていると考えれば筋が通る。特措法はコロナを大義名分にして国民に恐怖を与え自由を奪いカネをむしりとる悪法である。

ごく一部のバカを抑圧して多数を守る? こともできていない

 政府を擁護する視点で考えてみる。たとえばごく一部に次のようなバカがいたとする。コロナが蔓延していると言っているにも関わらず、不要不急の外出をしてみだりに感染リスクを高める生活を送る。そんなごく一部の人間を粛清し、大勢の人間を守るという見方をすれば感染拡大を防止する一助になっているので擁護できなくもない。

 ただし、その実効性は甚だ疑問だ。実際、政治家たちは深夜に会食して接待を受けている。国民が自粛し外食を控えたり、時短営業している中で。彼らが処罰を受けることはない。特権階級だから仮に罰を受けたところで痛くも痒くもない。彼らを罰し、感染拡大を防止することができていない以上、すでにその大義名分すら果たせていない。その法律を定めた彼ら自身が、法を犯しているのだから説得力のかけらもなく笑い話にさえならない。よって特措法を擁護することは難しい。

なぜ企業より個人のほうが過料が高いの?

 感染者個人は50万円、飲食店は30万円。なぜ企業より個人のほうが過料が高いの?

 入院拒否は個人でありたった一人。それに大して多くの客を呼び込む飲食店は多数の感染者を出しうる。なのになぜ企業より個人のほうが過料が高いのか。

  • 入院拒否はすでに感染が確定しているから

 かろうじて納得できる理由はひとつしか思いつかなかった。

 入院拒否はすでに感染が確定している。それに対して営業時間を短縮しなかったこと自体は感染拡大を助長することにはなれど、感染している事実が確認できていない。その分だけ罪が小さい。と考えることができる。

 しかしこれには納得できない。おもに次の2点において。

  • 入院を強制する理由が弱い
  • 確定一人より未定多数のほうがヤバくない?

入院を強制する理由が弱い

 すでにコロナに感染していることが判明したAさんがいたとする。彼は国から入院するよう命令されてしまった。彼には本来、選択肢が2つある。入院するか、自宅療養か。

 入院すれば必ず治るのだろうか。そうとは限らない。それどころか多くのリスクがある。病院に滞在したり医療行為によってエイズなどほかの感染症にかかるかもしれない。また、自分の意志確認もないまま得体の知れない試験薬を使われて被験体にされる恐れすらある。その事実確認を患者はできない。知識もないし、下手をすれば意識がない状態が続くだろうから。他人に生殺与奪の権を握らせたくないのに、それが許されない。

 どうせ死ぬなら自宅で死にたい。自宅療養したい。そんな価値観だってあるだろう。しかし特措法ではその選択肢が奪われる。過料50万円を支払っても入院は免れまい。おそらく特殊部隊が部屋に乱入して強制入院させられるのではないだろうか。つまり国にカネを盗まれた上で、自由すら奪われる。必ず治る保障もなく、それどころか強制できることをいいことに被験体にし放題な環境ができあがる。必ずや権力者はワクチン開発のため、国民を被験体にするだろう。私たちは死に方を選べない。

 個人の自由か、集団の安全か。このトレードオフである。私たち民は特措法によって選択の余地なく一方的に集団の安全を優先すべく犠牲になることを強いられる。憲法で定められた個人の尊厳や自由権など存在しないかのように。特措法の実態は違憲になるだろう。

 とはいえ、感染者に旅行をさせるなどはさすがに多数の同意を得られまい。いくら個人の自由とはいえ、感染拡大を防止するという観点については考慮すべきだろう。感染したら最期の楽しみとして旅行がしたいという自由もあるだろうが、それを認めて大勢の感染者を出してしまうことは認められまい。多くの未感染者が反対するだろう。ただそれでも、療養方法の自由は認められるべきだ。

 せめて自宅療養という選択肢も残してほしい。その自由まで奪う正当性はない。自宅療養なら多数の未感染者に迷惑をかけずにすむ。それでも自宅療養を許さない理由があるとすれば確実性だろう。監視できないから本当に自宅療養しているか把握できない。あるいはコストがかかる。病院にぶちこんで監視したほうが低コストで確実だから自宅療養は認めないのだろう。政府は人を人とも思わず病原菌扱いしたいから自宅療養を認めないのだ。

 病院は事実上、隔離施設だ。もしパンデミックになって数が多すぎてどうにもならなくなったら皆殺しジェノサイドするつもりなのだろう。そのための強制命令だと思われる。

 権力者が自分の命を守るため、国民の命を贄にする。それが特措法の本質だと予想する。

確定一人より未定多数のほうがヤバくない?

 感染者個人は50万円、飲食店は30万円。なぜ個人より企業のほうが過料が少ないのか。

 コロナに感染した一人より、ステージ3以上で時短命令に背き大勢の人々に裾野を開いた店のほうが罪が重いのでは?

 ステージ3以上でコロナ蔓延しているという最中、時短しなかったのは「過失」または「故意」といえる。ニュースをみていればステージいくつかわかる。もし失念していたなら過失だ。もしわかっていて時短拒否したなら故意である。いずれにせよ、コロナ蔓延という状況下で時短に協力しなかったことには一定の罰を与えることで拡大防止を図るという方針である。

 これに対して個人の入院拒否は感染経路を問わず罰せられる点がおかしい。もし感染発覚した2ヶ月以内に不要不急の外出をしていたら、それが原因であると予想できる。そのときは、自粛せず感染拡大に意図的に寄与したとして「故意」だといえる。逆に、生活に必要な行動だけだったら本人に故意も過失もない。

 その場合、罰すべき相手は政府だ。世の中の感染者を動かしたGoToや五輪の遂行者である。または旅行に来た観光客を罰すべきだ。彼らのせいで感染したのだから。それでも実際の特措法は、感染経路を問わず患者が罰せられる。それははたして感染拡大防止という名目にかなったやり方か? 否。もし感染拡大を防止したいなら、感染経路を特定し、感染の因果関係を明確にした上で、感染していた人を処罰すべきだ。患者を無条件に処罰するのは絶対に間違っている。感染防止の効果もない。少なくとも悪質性や責任の重さは、観光客、企業、政治家のほうが重い。

 そもそも感染拡大防止する方法として、罰することは必ずしも正しいやり方ではない。因果関係がないからだ。もしあったとしたら「感染リスクが高く、なおかつ不要不急の外出はするな。やったら罰するぞ」という脅迫による予防のみである。しかし個人の入院拒否は感染の因果関係でなく、感染したという結果をもって罰している。それはもう感染拡大防止という目的にそぐわない。間違った処罰である。

 これは見せしめだ。さもなくば人々は勝手に行動するだろうと信じているから罰するのだ。たとえ罰が拡大防止に合理的な行動でなくとも、ほかにできることがないから罰する。罰することで仕事をしたものとする。政府の無能さを隠す意図もあるのだろう。

 問題を解決する方法は「罰する」か? 否。否定するだけでは具体的にどうすればいいかわからない。よってそれは解決方法ではない。むしろ人々の活動を阻害するだけのネガティブ行動だ。非生産的で破壊的。やるよりもやらないほうがいい行為である。

 罰の重さは責任の重さに比例すべき。責任の重さはコロナの感染拡大にどれだけ寄与したかによる。すなわち以下の重さ順になる。

  1. 患者( 自粛)
  2. 患者(非自粛(旅行・外食))
  3. 企業(非不要不急の外出先)
  4. 企業( 不要不急の外出先)
  5. 政治家(不要不急の外出を促した胴元)

個人のほうが感染拡大の影響が小さいのに罰は大きい理由

 個人の感染に対して、その感染経路を問わず罰するのはおかしい。もし生活に必要な行動だけであり、不要不急の外出をせずに感染したのだとしたら、その人には過失も故意もないことになる。なのに感染したからといって自宅療養の自由を奪い最大の過料を科すのは合理性がまったくない。少なくとも過失がある時短命令拒否のほうが悪質だ。ならば企業のほうこそ過料が大きくあるべきである。

 入院拒否というのは、事実上、感染である。つまり感染したら罰せられるのだ。場合によっては医療崩壊しているかもしれないので、そのときは自宅療養になるかもしれない。いずれにせよ入院拒否ということをもって個人に最大の過料を科すことはおかしい。なぜなら感染に至った経緯を考慮していないからだ。もし本人に不要不急の外出をした経緯があるなら、本人にも落ち度があったろう。しかし生活に必要な外出のみで自粛していたなら罰せられるいわれはない。それまで罰するなら、それはすなわち「死ね」と言っているようなものだ。感染拡大防止という目的ならば、感染経路を見た上で、問題があったときにのみ罰すべきである。

 脅迫したいのかもしれない。見せしめに個人を罰することで「罰が嫌なら旅行なんてするなよ?」と暗に自粛を促したい。だから無条件で個人を罰しているのかもしれない。だとしたら、GoToや五輪を強行するのはおかしい。自粛の真逆だから。矛盾するため、この考えは通らない。ただし政府がダブルバインドを使って、どっちの場合も自分だけが得をしたくて二枚舌を使っているとしたら、筋が通る。

 感染経路を問わずに罰するのがおかしい。罰すべきは感染し入院しなかったことではない。感染拡大を防止すべきなのにその努力を怠り不要不急の外出をしたことを罰すべきだ。なにせ特措法の目的は感染拡大の防止なのだから。しかし「不要不急の外出をしたら罰する」と政府がいってしまえば、それはGoToや五輪の強行と矛盾してしまう。なので不条理だろうが構わず弱者の個人を罰するのだろう。

 よって個人の過料が最大である理由は、政治家が儲けたいからである。特措法ではコロナ感染の拡大防止には寄与しないし、それが目的なら企業や政治家など影響力の大きい者たちの過料を多くすべきだから。なのにそれをせず、影響力の小さい個人に最大の過料を科している。拡大防止の合理性はなく、経済活動を優先しているとわかる。

飲食店だけがターゲットになる不公平さ

 ところで飲食店だけが時短しないというきわめて限定的な条件下でのみ罰するということに強烈な違和感がある。ほかの業種はいいのか? 時短だけでなく休業はしなくていいのか?

 一定の理解はできる。おそらく、飲食店は利用者が多いのが理由だろう。人が生きるために必要な食を支える業務だから。人が多く利用するということは対人接触する機会も多いということだ。すなわち感染リスクが高い。なので飲食業がターゲットになったのだろう。

 ただ、感染リスクの高さは他の業種も同じはずだ。たとえばスーパーやコンビニだって生活に必要な食品を買いに行くし、なんならスーパーは飲食店よりも店舗が大きいので大勢が集まり密になりやすいし年寄りも多い。コンビニは便利で入りやすいし狭いので頻繁に密になる。また、書店だって多くの人が手にとる本を多数おいてある。さらにいえば病院や風俗店のほうが濃厚接触する機会が多いのだから感染リスクが高いだろう。なのに飲食店だけが罰則のターゲットにされるのは合理性を欠いていると言わざるを得ない。

 仮に全業種を時短するとしたらどうか。経済活動が大きく低下してしまうだろう。政府はそれを嫌った。つまり、実効性や公平性より、経済活動の量を優先したのだ。

 飲食店という一部の業界だけを犠牲にした。そこには合理性も公平性もない。もちろん感染リスクは以前高いままである。しかし経済効果を優先しつつ、一応コロナ感染対策してますよアピールにもなるため、このような極めて限定的で不公平な対処をしたのだと思われる。

命<<<カネ

 特措法はコロナ感染を抑制するよりも、経済活動を優先した施策だ。コロナ渦の中において、いかに多くの経済活動をするか。それを正当化する法律である。個人を最強に罰する理由もそこにある。個人は経済力が弱いから最強に罰する。ようするに弱いものイジメだ。差別であり迫害だ。

 個人には大きな経済効果がない。それに比べて飲食店のほうが経済への影響が大きい。だから個人よりも企業を優遇する。個人より企業のほうが過料が低いのは、企業のほうが経済効果が高いからだ。経済効果が高い者ほど価値があるとみなされ、過料も少なくなる。つまり政府は人命より経済を優先している。

確定一人<<<未定多数

 では、コロナ感染リスクは実際どうなのだろうか。 確定一人より未定多数のほうがヤバいだろうか。概算してみよう。

 ステージ3状況下において感染拡大の発覚、時短命令、無視、処罰、公表まで3日間だったとする。時短無視した時間においての客は1日あたり50人と仮定する。3日間で150人だけ国の計画より多くの客が入ってしまった。感染率が1%なら1.5人の感染者が出る。

 このときコロナ感染拡大してしまった罪の重さは、一人のコロナ感染者の入院拒否より重大なのではないか? さらにいえば客は感染の自覚がまだないため自由に行動し感染を広めるだろう。

 また、店は人を集める。店を営業することで自粛しない人たちを集めることになる。店の営業によって自粛しない人たちが増えていく。「自粛しなくていいんだ」という空気が生まれて一層、自粛しなくなってしまう。

 多数の人に影響をあたえる事業者は、個人よりも遥かに強くコロナを警戒せねばならない立場のはず。コロナ感染拡大の影響とその責任は個人よりも企業のほうが大きい。

 なのに過料は個人のほうが多い。コロナ感染を抑えるという目的であるならば、これはおかしい。筋が通らない。なので先述のとおり、国は人命より経済を優先しているから経済力の弱い個人を見せしめの生贄にしたのだろうと判断する。

責任のがれ

 政府は、感染したことの責任を、すべて感染者個人に押し付けている。本来、感染拡大を防止するという目的であるならば、GoTo、五輪、営業など人が集まり感染する事業を展開している者たちにこそ大きな責任がある。なのに自分たちは利益のために営業して、その結果、感染者が出ても患者本人を罰し、自宅療養を奪い、入院を強要するのだ。それが特措法という法律で制定されてしまう社会。つまり日本という社会や人々は、人命よりも経済を重んじている。カイジ利根川がいった「カネは命より重い」という言葉そのものなのである。

特措法の不合理な罰

項目個人企業
過料50万円30万円
感染1人1.5人
=50客/1日 * 3日間(ステージ発生→時短命令→無視→処罰) * 1%
さらに感染者の自由行動により拡散するので+α
さらに「自粛しなくていいんだ」という空気を作るため+α

 個人はコロナ感染の影響が小さいのに、過料が大きい。これはコロナ感染拡大防止が目的であるならば不自然であり不合理だ。もしコロナ感染拡大を防止する目的であるならば、コロナ感染の影響が大きい企業の過料を大くすべきである。なぜなら営業によって多くの客を呼び寄せるからだ。それだけ多くの感染リスクがあるからだ。

 この理論に則れば、海外の人々まで関わるGoTo旅行やオリンピックはさらに感染リスクを拡大する悪行だと言える。それこそ最大の過料をとるべきだ。IOCや各国政府からカネを徴収し、すべてのリスクを負う日本国民に与えるべきである。

 過料をとったところでコロナ感染防止にはつながらない。コロナは対人接触によって感染するのだから、対人接触する機会を減らすことでしか感染防止にならないのだ。つまり罰するべきは対人接触に対してであって、すでに感染した者を罰するのは不合理である。対人接触を最大化するGoToや五輪をやめることのほうが、罰するよりもはるかに感染防止になる。それをやらずに罰してカネをとることにはなんら正当性も妥当性も実効性もない。

私が思う正しい罰

 罰を与えるのは感染拡大を防止するためであるべき。つまり感染するような行動に対して処罰すべきだ。すると次のようなものになる。

対象 時期 条件
個人・公人・政治家 感染発覚 2ヶ月以内に不要不急の外出(旅行、外食)をした
法人 ステージ3以上 時短命令に背いた

 これも矛盾を孕んでいる。法人の営業によって旅行や外食をしたのに、なぜか処罰されるのは個人だけ。胴元の法人を処罰しないのはおかしい。しかしここで法人まで処分しては経済活動が停滞する。なのでステージレベルに応じて法人の罰則も考えるべきだ。たとえばステージ4以上で営業したら罰金1000万円など。

 さらに処罰を公平にするには、その立場によって過料を変えるべきである。影響度に応じて過料も高くする。

対象 過料 理由
個人 1万円 見せしめ。不要不急の外出を予防するため。罰することでしか感染抑制する術がないため仕方なく。
公人 10万円 民に手本を示す立場のため。公人は国民から税金を徴収し、その対価として国民のために働く義務がある。
法人 100万円 蔓延中に多数の客を呼ぶことは感染拡大させる行為であり悪質のため。
政治家 1000万円 責任者のため。自ら法律を制定したにも関わらず、自ら法律を犯し、感染拡大に寄与しており極めて悪性なため。

 そもそも罰することで感染拡大を防止することはできない。なので罰すること自体が感染拡大防止の対策として間違っている。せめて過料をコロナ対策に使われるならいいが、そもそも有効なコロナ対策が自粛くらいしかない。ワクチンも対策たりえない。それどころか逆に無益な殺人や苦しみを与えることにもなりうる。有効な手段がないため、自粛を強いるという意味で罰を与えるにすぎない。

 かといって全員自粛するわけにもいかない。経済活動しなければ滅びる。なので経済活動を考慮した中途半端で正当性も実効性もない罰則になってしまう。それなら罰を与えないほうがいいのではないかと考えることもできる。しかしそうなると不公平感がでる。遊びたいのに自粛している人と、遊びたいから遊ぶ人だ。コロナに感染するというリスクがあるのだから、トレードオフだといえる。しかしコロナ感染は公害であり、個人の行動が公共衛生に悪影響をもたらす。よって多数者の安全を保つために個人の行動をある程度、抑制せねばならない。そこで処罰という対処が候補にあがる。処罰は効果もないため不毛だが、公共安全のためにやらざるを得ない。嫌々やるなら、せめて公平性が必要だ。

 全員で自粛しないと効果がないため、全員公平に罰を与えるのが唯一示せる正当性である。罰すること自体の正当性がないため、望ましい対策ではない。せめて妥当性を担保するために、公平性を謳うことでさも正しいかのようにいって誤魔化すしかない。それが立場による相違である。一般人より公人や法人、政治家のほうが、人々に与える影響が大きい。責任が大きい。よってそれに伴い過料を高くすることで、公平性を保つ。

 いうまでもなくカネをとったところでコロナ感染拡大が防止できるわけではない。あくまで「カネとられる痛みを被りたくないでしょ? だから気をつけてね?」という意味合いでしかない。そして気をつけようが気をつけまいが、それでコロナ感染拡大が防止できるわけではない。いくら気をつけたところで有効打がない以上、感染するときは感染してしまうのである。カネをとる妥当性も合理性も正当性も実効性もなにもない。

 好きで感染する者はいない。だが、好きで旅行や外食など感染リスクの高い行為をする者はたくさんいる。なので罰すべき理由は、感染したという本人が制御できない結果に対してではなく、計画的に感染リスクの高い不要不急の外出である旅行や外食を行ったという本人が制御できる行動に対して罰すべきだ。断じて入院拒否などという理不尽な処罰は許されない。それは一方的に行う弱者への大量虐殺である。

 罰するには店舗の協力が必要だ。すべての店舗において、いつ、どこで、誰が、何をしたか記録する。これを義務付けることで罰則の実効性を担保する。

 明らかに経済活動に影を落とす。企業側は大きな負担と責任を持たざるを得ない。営利目的であることに矛盾する。企業側はたとえ客が感染しようが、自分たちの利益になるなら実行する。利益にならないならやらない。顧客の管理それ自体、儲かる仕事ではない。

 客側にも手間が増える。なにより、心理的に悪い。たとえば入店するとき名前を書くなどというわかりやすい行為をしたら、その店でサービスを受けることが悪いことをしているように思ってしまい自粛へと向かいやすくなるだろう。

 手間をなくすには監視システムが必要だ。全国民をマイナンバーで管理し、すべての店に入店するときは自動改札のようなものに通ることで自動的に、だれが、いつ、どこで、何をしたか管理することになる。超監視社会になるだろう。そして一部の特権階級だけはその監視を免れて会食・接待するのだ。最悪、店のトイレに監視カメラがあって店や権力者の愉悦に使われる恐れすらある。国民にプライバシーはない。ディストピアだ。

 そんな方向へ社会が向かうなら、関わりたくない。

 やがて生活を、自粛から自活へと変えていく必要がある。コロナが収束しないと想定した社会づくりである。罰から生産活動へと切り替えることで、生活が成り立ってゆく。生活は成り立っても、社会は今と姿を変えているだろう。不健全な今の経済社会は、正したほうがいい。コロナを、自由になるチャンスと捉えることもできる。

結論

 特措法は政治家が儲けるためのビジネスと思われる。コロナ感染拡大の効果はきわめて低い。よって個人の自由を奪う妥当性はない。罰することで感染拡大を防止できる見込みも薄いことから実効性も低い。

  • 特措法は政治家や官僚が国民からカネをむしり取るためのビジネスとして制定した法律である
    • コロナ感染拡大は大義名分にすぎない。効果は極めて低い
  • 感染拡大なら次のように改めるべきである
    • 罰則でなくサポートすべき
      • リモート化支援
        • インターネット無料化
      • 買い物など必要な外出を不要にする援助
        • 宅配
        • 家庭菜園
    • 罰則するなら立場の強い人ほど強く罰すべき
      • 政治家>事業主>個人
        • 個人:罰金1万
        • 法人:罰金100万
        • 政治家:罰金1000万

資料

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