やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

超マイナー資格 MIDI検定3級を受けた思い出

今週のお題「試験の思い出」に答える。

お題

今週のお題は「試験の思い出」です。

入学試験に入社試験、資格試験や昇格試験! いつだって試験は大変ですが、だからこそ、それぞれに思い入れのあるエピソードが生まれるものですよね。今週は「試験の思い出」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「得意だった試験科目」「試験当日に起こった事件」「これから取りたい資格」など、あなたの「試験の思い出」にまつわる出来事を、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

 いや、「これから取りたい資格」は思い出じゃなくね? と、ツッコんでおく。

試験の思い出

 試験といったら学校でのテストだろう。たぶんこのお題はおもに学生向けに違いない。でも、今学生の人で、はてなブログをやっている通な人などいるのだろうか? 今どきの若者はブログをやるのか? LINEとかTwitterというイメージがある。若者の知り合いなどいないのでわからないが。

 ニュースで知っているのは、東大生がネットを通じてカンニングしているということくらいだ。高度情報化社会における時代の変遷に、ある種の感慨がある。

 私はおっさんなのでもう学校の思い出なんて記憶の彼方だ。私は何も考えていない適当人間だ。なので試験も超適当だった。というわけで思い出深い話などできない。適当だった話しかない。

MIDI検定

 MIDI検定。あまりにもマイナーで知らない人がほとんどだろう。MIDIとはコンピュータで楽曲をつくるための規格だ。MIDI検定は規格の知識を問う資格である。

 MIDI自体がマイナーな規格だ。じつは1983年にできてから、最近の2020年、37年ぶりに2.0へバージョンアップしたのだ。その業界ではひそかに、ひっそりと話題だった。もっとも、コロナのせいであっという間にそれどころじゃなくなってしまったが。とにかく、なんとも不遇で存在感の薄いマイナーなものがMIDIである。

 私は当時、RPGツクール2000というゲームをつくるソフトウェアを通じてMIDIの存在を知った。それからインターネットでベクターというサイトからフリーソフトのチェリーというMIDI作成ツールを使って、自分でも音楽を作ろうとしていた記憶がある。

 私はかつてゲームを作りたかった。そのためにCG検定を受けたり、MIDI検定を受けたりしていた。資格をとったからといってゲームを作れるわけではない。まったくもって見当違いなことをしていた。けれど当時はそんなこと考えず、ただ何となくそうしていたのだ。アホである。

 結論からいえばCG検定には落ちたし、ゲームは未だに作れていない。MIDI検定には受かったけれど、まともな楽曲を作れたためしがない。一体、検定試験を受けたことに何の意味があったのか。何の意味もなかったと今なら言える。

 大人になった今ならわかる。検定試験とは単なるビジネスだ。私は騙されたのだ。だれかに認めてもらおうと媚びるより、技術を身につければよかったのだ。作品をもって黙らせればいいのだ。能力のない人間が形だけの資格をとったところで、自己満足すら怪しい。

 私は友達もいないボッチだったので、ひとりでそのマイナーすぎるMIDI検定について調べた。ひとりで手続きし、ひとりで受験会場までいった。びっくりするほど狭いビルの中でぎゅうぎゅうづめにされた中でテストを受けた。人数はそれほど多くなかったとはいえ、満員電車の中で試験を受けさせられているようで不快だったのを覚えている。

 想像してくれ。根暗陰キャぼっちたちが閉所に集まる様を。その中に自分が放り込まれたとして、どう思う? 彼らの匂いで充満するそのビルの一室で、無言で試験を受ける。ねえねえ、今どんな気持ち? 気持ち悪い。そうでしょう? そうなんだよ。

 音楽というのは文字どおり音を楽むことだ。けれどMIDI検定会場には音楽要素が欠片もなく、楽しさなど微塵もなかった。会場ではおっさんたちに監視されている。カンニング防止なのはわかるが、おっさんに睨まれるという苦行に、むさくるしい男たちの受験生に囲まれて「俺はいったい何をしているんだ」と思ったものである。せめてかわいい女の子が応援してくれでもしたらよかったのだが。現実は悲惨だ。

 かといって実技で楽器をひいてくださいとか言われても困る。せいぜいカスタネットでうんたんやるくらいしかできない。しかもリズム感が皆無なので聞く者のバイオリズムを崩して不調を呼ぶだろう。だから机の上でカリカリやるだけで良かったのだ。余計な恥をかかずに済んでよかった。

 試験が終わり、後日、合格通知が郵送された。後に残されたのは、言いようのない虚無感である。

 なんだろう。もっと嬉しいとか達成感とか、そういうのがあると思っていた。たぶん私がボッチなせいだったのだろう。今でもボッチなので今後も一生わからないと思うが、だれかと苦難や喜びを共有していたなら、もっと面白い話になっていたし、もっとドラマチックになっていたはずだ。オチだってついたかもしれない。けれどこれが私の現実でありノンフィクションである。恐ろしいほど虚無と野郎に満ちた、オチもドラマも夢も希望も友もない、どうしようもないどうでもいい話。