やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

はじめての一人暮らし〜そして私は世界の真実を知る〜

今週のお題「引っ越し」に答える。

お題

今週のお題は「引っ越し」です。

年度末が近づいてきました! 進学や就職、転勤などで、新天地へと引っ越すことになる方は、そろそろ準備を始めている頃でしょうか。そこで、今週は「引っ越し」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「初めての一人暮らし」「これから住んでみたい場所」「荷造りで役立つこと」など、あなたの「引っ越し」にまつわる出来事を、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

引っ越し

 その昔、新卒だった私は会社の近くに引っ越した。はじめての一人暮らしでもあり、非常にワクワクしていたのを覚えている。ただ、そのためにすべきことはとてつもなく多かった。まずは住居を探すため不動産屋に行く。立地や建物を確認し、周辺の環境をみてまわり、生活に不便がなさそうか吟味する。家賃は支払えそうか。いくらまでなら出せるか。会社との距離は? 部屋の広さは? キッチンやトイレは? ストーブやクーラーなどはあるか? 色々と考えた上で、どうにかひとつに絞る。非常に大変な作業だった。

 やることはまだたくさんある。ライフラインの開通だ。電気、ガス、水道、家賃。それらを自動振込にするべく銀行で手続きする。書類に必要事項を記入するのだが、その際、どさくさにまぎれてNHKに支払わせようとする欄がある。うっかり書いてしまうとTVを持ってもいないし、見たくもない私のような人でも支払わされてしまう。これは罠だ。詐欺だ。横領だ。社会のインフラは人から搾取しようと手ぐすね引いている罠だらけ。国家が税金をもって企て企む支配構造である。その卑しさと汚さにみちた唾棄すべき現実をこの目で確認した瞬間だった。

 引っ越しといえば家具の購入だろう。いわゆる白物家電を揃えるのが基本だ。すなわち冷蔵庫、洗濯機、電子レンジである。かつてはレンジでなくテレビを含めた3つをもって三種の神器などと謳われたものである。しかし私はテレビの低俗さに辟易としており、見たくもなかった。それよりもパソコンが好きだったし、情報収集はインターネットだけでいいと思っている。そういうわけで、私はさっそく、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、炊飯器、掃除機を買い揃えた。

 しかし、買ってすぐに設置できるわけではなかった。たとえば洗濯機の設置は、排水ホースがある場所にしか設置できない。取り付けにも手間取った。電子レンジにはアースがあったので、別途ホームセンターでアースを購入して取り付けた。自分でやったことがない、はじめての経験をたくさんした。

 一人暮らしで掃除機を買って、気づいたことがある。なぜ、ゴミパックを毎回買わねばならないのか? たとえばプラスチックの入れ物にゴミを入れるような設計にして、それを使い回すのではダメだったのか? よくよく考えると、企業が儲けるための手口だったのだ。私は思考停止していた。掃除するなら無条件で掃除機が必要だと思い、とくに何も考えることなく適当に安い掃除機を買ったのだ。しかしその運用には、特定の型にあうゴミパックが必要だった。数ある型から一致するものを探してとりつける。その手間とコストの高さに辟易とした。今ではホウキ、ちりとり、ぞうきんで掃除している。これなら排気によりホコリが舞うこともないし、静かだ。静かな時間を尊ぶ私にとっては、古の生活習慣のほうがよかった。電化製品のほうが効率がよいと思いこんでいたが、実際にすべてを自分で用意し、使い続けることで、それが欺瞞であるとはじめて知ることができた。

 生活してみると気づくことがある。水だ。水質は住む場所によってちがう。カルキがきつくて飲めないとかがある。それを事前に調べることができないのが嫌だった。

 ほかにも犯罪の多さだとか、地表の液状化だとか、原発との距離だとか。今回は会社の近くということしか考えず安易に引っ越ししたが、本来ならもっと考えるべきことがたくさんあったのだと気づいた。実際に生活してみると、夜中は救急車が常にピーポー騒がしいし、朝から夜までトラックがとおり騒音と振動で眠れない。洗濯物を干す場所もないし、すぐ目の前の道路にさらさねばならない。そしてすぐ下は駐車場でとても寒かった。あまりにも問題だらけだったのである。もっときちんと見ることはできなかったのか。できなかったのだ。でも、この手痛い失敗のおかげで観点が増えた。もう二度と同じ失敗はすまい。職場で言われたそれには反感しかなかったが、自分で実感したそれは心によく染みた。

 私の引越し先ではインターネット回線がなかった。なので大家に相談して工事の許可をもらい、自腹でNTTに依頼した。わからないことだらけだった。0120のフリーダイヤルにつながらないので、有料回線で通話させられた。話を聞いてもどうにもならなかったので、結局自分でどうにかした。ムダに時間ばかりかかり、腹立つことに耐えて。えらい苦労した。さも親切丁寧にアフターフォーローしますよ的なアピールをするも、結局は適当にあしらうんだなと理解した。社会への不信がまたひとつ強まった。

 冷蔵庫の中のものを管理するのはじつに大変だ。何がどれくらいあったか。それを仕事をしながら把握するなど困難だった。私は仕事で鬱になるまで追い詰められたので、最終的には生活すら破綻した。その過程において顕著だったのが冷蔵庫の中身である。管理できなかった。購入したけれど、使うことなく腐らるようなことが増えた。あとになって振り返ると、私は煽られていたのだ。

 働かねば食いっぱぐれて死ぬ。食わねば働けない。だからムリして食わねばならない。そのためには貴重な休日を犠牲にして、とにかく買い出しせねばならない。何を買っていいか、丁寧に吟味する能力も時間も余力もなかった。なので適当に安いものを買っていた。けれど毎日日付がかわるころに家につくので、疲れて料理する時間もない。けれど食わないと死ぬ。なので仕方なくカップ麺ばかり食べていた。かくして冷蔵庫の中身は腐ってゆくのだった。まともな生活をするために冷蔵庫を買ったのだが、まともな生活ができないほどにブラック労働を強いられる。いくら家電があっても、それを使う時間がなければ意味がなかった。働くことは死ぬことと見つけたり

 人は敵である。おそるべきことに、NHKは各部屋にシールを貼ってマーキングしている。あまりにも身勝手かつ傲慢な行為だ。迷惑きわまりない。壁やトイレの落書き並に悪質だ。公衆の概念がないのか、あるいは「お前の金は俺のもの」という傲慢さの現れなのだろう。国営放送の一方的な支配を見える化することにより暗示をかけると同時に顕示欲も満たす。そんな意図が透けてみえる。反吐がでる。
 さらに休日には訪問して金をむしり取ろうとする。私の貴重な休みの時間を奪うだけでは飽き足らず、金まで奪おうなどと。なにより許しがたいことは、私が働いて収めた税金が、私の邪魔をするために使われているということだ。反感と敵意しかない。怒りと憎しみしかない。図々しいことに携帯電話のワンセグでも料金をとるので、その有無さえ確認された。お前らは何様なんだ? 自分らがどれだけすばらしいことをしていると勘違いしているのだろうか。私と国の認識には、あまりに大きな隔たりがあるのだろう。民から奪うばかりの国がつくった洗脳番組なんて見たいわけないだろう。そんなこともわからないの? バカなの? 死ねよ。TVなんて広告マシンでしかない。部屋に置いても粗大ゴミだ。さらにそれを口実に金までとろうとする。一体、私になんのメリットがあるというのか。納得できるそれを提示してみろよカス。理解不能である。

 一人暮らしをして襲いかかる敵は他にもいる。ポスティングだ。ピザの広告チラシを、人の家に無断でぶちこむのだ。彼らはそれで利益を得ているのだろうが、その都合によって私がゴミ処理せねばならないという負担を強いられねばならない。ふざけるな。社会に、他人に、強い憤りと憎しみを抱く。一人暮らしをすることで、他人は敵であるという認識がどんどん強まっていったように思う。あまりにも身勝手なやつらがでかい顔をしている。そんな場面ばかりだった。

 ゴミといえばゴミの分別も大変だ。地域によって分別の仕方がちがう。それを勉強して分別し、しかるべき場所と時間に出さねばならない。うっかり別のところに出すと私のように「あなたはこのマンションの住人ですか? ちがうならここに出しちゃダメでしょ!」と怒られるハメになる。え、そうなの? そんなこと、誰も教えてくれなかったよ? それに、ほんの少し場所が違うだけなのに、それってそうまでして守らねばならないの? などと次々と疑問が湧き出た。
 もちろん、そんなことを口に出したらトラブルの元なので反論せず言うとおりにした。なぜか相手はめちゃキレてたおばさんだった。キレてる人間になぜを問うとさらにキレられるのだ。説明し、理解をさせようとするより、いいから黙って言うことを聞けというのか。職場でもそんなことばかりで辟易とする。だったら最初からしかるべき人が教えてくれ。たぶん「わかるだろ? 空気読めよ?」的な文化で曖昧にしているのだろう。私はそういうのわからん人なので、ちゃんとはっきりしてほしいのだ。でも、世の中、曖昧で適当にしていることはたくさんある。その罠にハメられて理不尽にキレられることもよくある。人間こそがゴミだと思う。

 外に出たらヤバイのが一杯いる。札幌の大通公園でひとり昼食をとっていると、怪しげな西洋人と中国人の二人組が近づいてきた。キリスト教の勧誘である。私は邪魔されてムカついたので嫌な顔をして断ったが、相手もそれをみて嫌そうにした。本当に害悪である。関わらないで欲しい。消えて欲しい。右翼の宣伝カーも走り回っている。この世にはキチガイしかいないのかと絶望した。もう二度と外に出たくないし、人とも関わりたくない。仕事以外の生活でさえ、そんなことばかりだ。

 じゃあ仕事以外の趣味はなかったのか。そんな時間はなかった。休日は洗濯と買い出しと掃除に追われた。命を削って料理を覚えるべくがんばれたのは最初の一ヶ月間だけだった。おそるべきことに、職場でも「趣味がないと仕事が続かないからなんかやったほうがいいよ」などという仕事中心のアドバイス()までされるのだ。今ならはっきりわかる。こいつら、イカれてやがる。飲み会では「三徹で仕事だった」とか「それでも死ぬわけじゃないし」とか言うのだ。もう別の生き物としか思えなかった。頭がおかしくなるのも当然だ。鬱になるのも当然である。こんなイカレポンチどもの巣窟が社会だというなら、私はもう二度と社会人になどなりたいとは思わない。さようなら。

 じつはまだまだいろんなエピソードがある。大学の友人だったやつが二十四時間風呂を売りに来た話とかね。引っ越しから離れすぎるからやめておくけど、一人暮らしをしてわかったことがある。とかくこの世はクズばかり。それが増強されるエピソードばかりだ。たかが数年なのによくもここまでクソをみせつけてくれたものだと感心する。そしてそのうちの一人が自分なのだと思い知らされた。

 すべては一人暮らしをしたことで知れたことだ。まったくもってありがたい、感謝すべきことだ。とでも言うと思ったか? 怒りと憎しみしかない。苦しみと絶望しかない。きっとこういう感じではなく、なんかもっとフレッシュでさっぱりしてて春っぽくて前向きで新しいことをはじめたくなるようなワクワク感がにじみでる記事を書くべきだったのだろう。人々を笑顔にさせるような素敵なセンテンスこそ世に求められているのだろう。だが考えて欲しい。世の中がそんなものを求めるのは、それが世の中に存在しないからだ。だったら嘘っぱちの創作でしかありえないじゃないか。ノンフィクションを書いちゃったらこんなクソったれ話しかできないんだよ。……わかっている、クソなのは私だ。それを世の中のせいにしているんだ。でも、世の中だってクソじゃんね。そうだよ、皆クソだよ。死なばもろとも一家心中無差別爆撃じゃ。こうして絶望の果てに無敵の人が生まれてしまうのだろう。犯罪者の中には社会の犠牲者だって多いのだろう。かくして私もいつか本当にクソの仲間入りを果たすのだろう。ああ、生まれてこなければよかった。

 どこへ引っ越そうとも一人だ。地球が汚染されたからといって、火星に住むようになったとしても、きっとまた火星を汚して浄化することなく使い捨てるのだろう。『立つ鳥跡を濁さず』というが、私たちはその真逆だろう。しょせんは理想論にすぎないのだろう。現に引っ越ししてもなお一生尾をひくような汚い話しかできない私がいる。跡を濁しまくっている。むしろその濁りきった跡こそ我が人生の軌跡である。絶望しかない。もうだめだぁ……おしまいだぁ……