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アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

道民、スキー授業は義務です! 今語られる幼き日の悲しみと屈辱 国家の陰謀に隠されたスキー授業の闇を暴く

今週のお題「冬のスポーツ」に答える。

お題

スキーはお好き? 今週のお題は「冬のスポーツ」です。

スキーやスノーボードなど、冬のスポーツを身近に楽しめる季節になりました。そこで今週は「冬のスポーツ」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「この競技がアツい!」「雪が積もったので雪合戦を」「スキーリフト乗るの怖い」など、あなたにとっての「冬スポーツ」について、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

お題について

 すごく嫌。このお題、たぶん北京オリンピック人気にあやかろうとしているのだろう。そういういやらしいところがもう嫌。ロシアのお家芸ドーピングやら大量虐殺国である中国が権力にモノをいわせて女性アスリートを事実上強姦したりとか。NHKが五輪反対をフェイクニュースで叩いたり経済効果もないくせに東京五輪を強行してコロナ拡散したあげく素晴らしい成果だとのたまったり。もはやオリンピックやスポーツに対して悪印象しかない。

 そんな嫌な感じのがお題なせいで、嫌なことを思い出したからそれを書く。

 皆さんはご存知でしょうか? 北海道民はスキー授業を義務付けられているということを。それによってどれだけの被害者が苦しみと悲しみを被ったかを。かつてインターネットがなかった時代に虐げられたロスジェネの私が、卑劣きわまる国家の悪事を暴く!

道民はスキーを義務付けられる

 北海道民はスキーを義務付けられている。今日はその理不尽さと、そこから派生する様々な悲劇について語りたいと思う。

 もはや20年以上も前の話。私は小、中、高校でスキーをやらされた。これがすごく嫌だった。学校とは嫌なことをたくさん強要する人権侵害施設なので、べつにスキーに限ったことではない。それでも無理強いされるいわれのないものナンバーワンはスキー授業だと思う。せめて選択制にして欲しかった。

 だってそうでしょ? 水泳ならまだ溺死しないための訓練だと考えられなくもない。将来、仕事で船に乗ることになったけど事故って沈没。その際、泳げないから溺死しちゃいました。なんてシナリオを回避するためにもプールで泳ぐ訓練をするのはまだわかる(いや、実際そうなったら死ぬと思うけど)。風呂や洗面所など、水は身近にある。その危険性を身を持って知り、対処法を身につけるためにも一定の訓練はしたほうがいいのだろうさ。

 でもスキーはどうか。わざわざ危険を犯して雪山に行くとかバカじゃね? 必要性がない。むしろ危険を回避するために雪山に行かない、スキーはしない、という決断を下すことこそが大切だと思う。

 楽しいとか好きなら、趣味嗜好の話であって義務化する必要はないはずだ。それを言ったら、私はスキー自体が嫌いだしやりたくない。疲れるし恐いしつらいだけの苦行だ。わざわざ命や健康をなげうち危険を冒そうとするなど狂気の沙汰である。意味がわからない。自分の命と健康のリスク管理さえさせてもらえない。なのに大人になったら自己管理がなっていないなどと言われるとは思わなかった。本当にこの世は地獄である。

 考えてもみてくれ。誰が好き好んで雪山を滑落したいと思うんだよ。バカじゃないの? 絶対に少数派だろ。やりたい人はやればいいけれど、やりたくない人に強要していい理由はない。なぜ義務化されるのかわからない。

 と思っていたのだが、大人になって考えてみると癒着なんだと思う。

 学校とスキー業界? が結託して親に金を出させるためにやっていたんだろうなと今なら思う。選択の自由はどこいったの? 憲法で認められているんじゃなかったの? 生徒の自主制を重んじる校風じゃなかったの? などなど、嘘と矛盾だらけな支配構造に心底嫌気がさす。

 社会の授業で学んだ「選択の自由」が実際は存在しないと気づいてしまう。嘘を刷り込まれる勉強に疑問と不信感をいだき、授業に対するやる気もなくす。あーあ、結局、権力や暴力でむりやり言うことをきかせる世の中なんだな、とグレる。人や社会に対する最低限度の基本的な信頼をなくし、社会への帰属意識もなくなり、怒りと憎しみと嫌悪感ばかりが高まる。

 教師も教師で、生徒を恫喝して言うことを聞いたらニンマリする気持ち悪い体育教師や、女生徒を犯して新聞に載った倫理教師などがいて吐き気をもよおす。学校とは狂信者ばかりのキチガイワールドなのである。必要もないのに雪山で危険を冒す。それはまるで、山奥の寺で行われるブラック企業の新人研修だ。おまえらおかしいよ。目を覚ませバカ。

苦痛だらけのスキー授業

 スキー授業は超大変だ。スキー、ストック、ブーツ、ウェア、手袋、靴下に加え、ホッカイロ、弁当、水筒などを用意する。これを家から持っていくのが地獄なのだ。スキーやブーツが何キロあると思ってんだよ。カバンと教科書だけでも潰れそうなのに。おかげで身長が5センチ縮みました。訴えてやる!

 これはまだ序章にすぎない。次は雪山への移動が待っている。学校からバスへスキー装備一式を運んで乗せたら、車酔い必至のバスツアー開始。お前は俺をコロスケか。はしゃぎまわるウザいクソガキ同級生どもの甲高い金切り声に耳を犯され精神ストレスを爆上げされつつ、よく知らない生徒と隣の席になって気をつかいメンタルを削られながら、長時間バスに揺られてゲロるのを我慢し続ける瀕死のひととき。

 ほうほうのていでバスを降りたら休憩する間もなくスキー授業の準備。各自バスからスキー装備一式をかついで所属グループへと集まる。ヘタクソはヘタクソ同士で集まり、うまいやつはうまいやつで集まる。妥当なグルーピング兼ランキングである。ここでも差別化され優劣がはっきりと示され、「ああ俺はあいつらより下なんだな」と自尊心を傷つけられ、ガラスのハートがダイヤモンドダストとなって砕け散る。はやくもメンタルは直下降。

 ぼうっとしている暇はない。雪山から滑落するするため、リフトに乗らねばならない。行列に並び、順番が来たら管理人にむけて腕をみせつける。腕バンドにとりつけた一日乗り放題リフト券を見せて無賃乗車でないアピールだ。ここまではいい。

 ついに最初の難関であるリフト乗りだ。リフト券をみせたらただちに速やかに足をもちあげ必死にリフト乗り位置へと向かう。忘れてはいけない。スキー板を履いたまま移動しているのだ。その移動に必要なパワーたるや尋常じゃない。しかも制限時間内に正しいポジショニングに身を置く必要がある。慣れない行為の連続でもあるため緊張感も高まる。私にとっては焦りまくりの最悪なイベントなのだ。

 リフトは位置どりやタイミングをミスれば危険だ。機械に挟まれたり押しつぶされたりして死ぬかもしれない。体が震えるのは雪山の寒さ以上に、強烈な恐怖ゆえである。「俺は一体なにをやっているんだ」という虚無感のなか、やりたくもないことをやらされ命を脅かされる。そんな経験をして、自尊心やら自主性やらが育まれると本気で思っているのか? 「どうせ何をやっても無駄なんだ」という学習性無力感はこうして培われるものだと知れ。たぶんそうやって諦めグセをつけさせ、泣き寝入りしやすい人格にし、国家の労働奴隷にするのが本当の狙いなのだろうと、大人になった今ならわかる。

 虐待だ。スキー授業は虐待である。

 震える足、しばれた体、よく知らない隣人。そんな中で、後ろから猛スピードで襲い来るリフトにむかって、分厚いウェアを力づくでねじふせ、必死に後ろを向いて、死ぬ気で位置取りとタイミング合わせを行う。隣の人とぶつかっちゃダメだ。尻を下ろすタイミングを間違えばリフトの椅子に頭をぶつけたり、下敷きになっておかしな体勢のまま押し付けられて体中の骨がバキバキにへし折られるかもしれない。無数に考えられるリスク。その恐怖と戦いながら、命がけのリフトオン。

 なんとかリフトに乗れてほっと一息。しかしここでも地獄の時間が待っていた。リフトは大抵、二人乗りである。ゆきずりの見知らぬ誰かと隣り合わせになったとき、面白おかしいトークをするコミュ力などない。定番は天気の話だが、雪山にきてまで天気の話をするのはどうにも間抜けすぎる。必死に耐える沈黙。互いの尻が触れ合うかどうかという微妙な距離にもかかわらず、心の距離は山頂と麓くらい遠く離れている。

 時間がたつほど気温が冷えてゆくような気がした。地に足がつかない状態で空中に身を投げ出したまま北風に吹き付けられる。心もとない。リフトは上りでも、私の心は下りだった。いたたまれない。たすけてくれ。まるでペンションに来たら大雪になって殺人事件が起きたのに電話もつながらない密室ホラーゲームをプレイしているかのような恐怖。

 なのに空気も読まずに例のアレが『絶好調♪ 熱いハート♪ 燃えるほど◯した〜い♪』などと場違い感MAXで騒ぎ立てる。恐ろしいことに、この曲が無限ループなのだ。私の心境との激しいギャップにより空虚さが際立ち、胸にぽっかりと穴があいたかのような虚無感がもたらされる。悪質なループに頭がおかしくなりそうだ。ゲレンデがとける前に脳がとけてしまう。いいかげんにしろ。

 いたたまれなさと切なさと心の弱さを露呈しつつ、山頂に到着。最後まで無言だったお互いは、ぶつからぬよう細心の注意を払いつつドライにお別れ。やっと自由である。だが残念ながら授業なので、グループに集まり、先生の尻を追いかけて滑落せねばならない。

 登ったと思ったらすぐに降りる。まるで掘った土をすぐに埋めるかのような何の意味も価値も見いだせない虚無作業。これは拷問ですか?

 同じく雪山を滑落している人々を縫うように避けつつ、おっさん教師の尻を追いかけ、下降してゆく。楽しさの欠片もない苦行に死にたくなる。もういやだ! ここから出してくれ! しかして自力で降りる以外は決して許されることはない状況。これが虐待でなくなんだというのか。俺だってスノーモービルで搬送されたかったよ。

 麓まで降りたらあとはこれを無限ループ。アホかと思う。狂ってる。

 昼休み。スキー板をブーツから外し、クソ重たいスキー板をかつぐ。そして重くて歩きづらいブーツの足で移動。両手は板とストックでふさがり握力も奪われる。板とストックを置いたら休憩所へ入る。温かい室内でようやく一安心。椅子に座り、ブーツを脱いで荷物から水筒と弁当をとりだし命の補給だ。

 まさか店の出す1500円のレトルトカレーなんて食べれるはずもない。どんなブルジョワだ。雪山で体力を奪っておいて、原価100円にも満たない食事を出して法外な金を要求する。人の弱みに付け込んだあくどい商売を目の当たりにした当時小学生の私は、世の中全員敵なんだと悟ったものである。

 体中がバッシバシ。足はガクガク。弁当を食べようと箸を持ったら手がプルプル震える。これは寒さのせいではない。想像以上に心と体を蝕まれているのだ。体への負荷が強すぎる。しかしここであまりの運動のせいで食欲がないなどと言ったら死ぬ。午後を生き抜くため、死んでも食わねばならない。母に感謝しつつ弁当を食す。

 午後も同じように乗り越えたら、あとはこれまでの逆走だ。帰りはバスに乗って、装備一式を家までかついでようやく終わり。もうボロボロである。本当によくやったと思う。同じことを今やれと言われても、まったくできる気がしない。スキー板をかついで雪の上をブーツで歩くだけで潰れると思う。

 スキーなんてやるもんじゃないよホント。義務化するのはやめてください。それ、虐待です。ウィンタースポーツ? 私にとっては苦行でしありません。冬はコタツにミカン。布団に猫。以上。