やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

プーチンを殺せ〜核戦争の火蓋を切って落とす戦犯〜

 こんなことは言いたくなかったが、言わねばならない。核という至上最悪の暴力をもって脅迫したプーチンは全人類の敵だ。被害を最小限にするためにはプーチンを殺すべきである。もしプーチンの脅迫に屈せば、すべてを暴力で支配するクズの独裁がはじまるだろう。世界の平和と秩序のために、私たちはプーチンを殺さねばならない。

プーチンを殺せ

 ロシアのプーチン大統領ウクライナへ侵攻した。結果、ウクライナではすでに2000人以上の民間人が死亡したという。被害はさらに拡大するだろう。戦犯であるプーチンは、今最も殺すべき人間である。

プーチンは核戦争の火蓋を切って落とす

 プーチンは交渉の席で核をチラつかせて脅迫した。この時点で、もはや世界の流れは決定したといっていい。これまで世界は核を抑止力としていた。それは核の使用による勝者はいないという共通認識があったからだ。核が傘たりえたのは、核が自分にも向けられうるという自覚と恐れがあるからはじめて成り立つ。しかし此度のプーチンは、従来の認識とは一線を画す態度を示した。すなわち、侵略するための脅迫材料として、核を使ってしまったのだ。

 核を脅迫材料に使った。そのせいで核はもう抑止力を失ったといえる。なにせロシアは核の使用を恐れていない。核を使えば報復されることくらいわかるはずなのに、それでもなお脅迫に使った。それはつまり、プーチンには核を使用する覚悟があるということにほかならない。核に対して恐れがなく、使用する覚悟があるなら、もはや互いに牽制するための材料として核を使うことは叶わない。少なくともロシアのプーチンが核を恐れない以上、もはや核ではプーチンを抑止できない。それは皆が考えることだろう。ならばこの先、世界は一体どうなるか? 決まっている。核戦争だ。

 もし、プーチンの脅迫に下れば平和が訪れるだろうか? 否。武力侵攻を平気でやった上、交渉の席でさえ核という最悪の暴力をちらつかせて脅迫するような人間だ。力をもってすべてを手中に収めようとする姿勢は明らかだ。プーチンは強欲で、身勝手かつ残忍な男だとはっきりした。そんな人間の支配に下った先に、平和があるわけがない。プーチンに従えば暴力が支配する最悪の結果になるだろう。だからプーチンと戦い、プーチンを殺さねばならない。プーチンを殺した先にしか、平和はありえない。

 戦争になる。それも核戦争だ。

 プーチンはもう後に引けない。ウクライナ侵攻をはじめて大量虐殺をし、さらに交渉の場でさえ核による脅迫をした。これは国際社会への明確な宣戦布告である。世界中の人々がプーチンの暴行に恐怖し、それに対して抗おうとするだろう。自分の身を守るために、それを害するプーチンを排除しようとするだろう。つまり、プーチンは世界を敵に回したのだ。プーチンもそれはわかっているはずだ。
 もうプーチンは引き返すことができない。プーチンは暴力路線で突き進むしかない立場にある。もうだれも自分を許してはくれないと自覚しているはずだ。ならば徹底的に侵略して奪い従わせるしか活路はない。そんなプーチンが最大の暴力である核の使用を厭わないのも頷ける。

 私たちはもう、戦争を避けることはできないだろう。核による滅びの未来を避けることはできないだろう。すべてはプーチンのせいだ。

終末をもたらす恐怖をまきちらしたプーチンの罪

 核の発射スイッチは恐怖心だ。
 襲われたらどうしよう。先に核を打たれたらおしまいだ。なら、やられる前にやっちまえ!
 不安と恐怖にまけて、核のボタンを押す。それを最初にやるのはプーチンか、それとも他の国のだれかかはわからない。だが、まちがいなく人は恐怖に屈するだろう。とくに核の使用権をもつ者たちは強欲な権力者であろうし、そのための手段として武力をもちいる暴力の信者だ。そんな彼らが何もせずに唯唯諾諾とプーチンの暴力支配を受け入れるわけがない。そんな惰弱な腰抜けはせいぜい日本くらいのものだろう。核のボタンを押す動機づけは、すでにロシアによって提示された。こうなると法律も正義も平和もない。大義名分も建前もない。サバンナの森に放たれた以上、ヤるかヤられるかだ。食うか食われるかだ。殺すしかないのだ。戦犯プーチンを。

 ロシアのウクライナ侵攻は、プーチンが恐怖に負けたことに端を発する。そしてプーチンは自身の恐怖を払拭するため武力を行使した。結果、ウクライナを中心に、世界全土へとあらたな恐怖をまきちらした。ここから先はフィアー・ゲームだ。恐怖はさらなる恐怖をよび、その強度は際限なく増加する。恐怖に支配されパニックと人間不信に陥った私たちは、最も頼りとする最大の武力、核の使用をためらわずに決断するだろう。

 私たちにとって最も大切なものは自分自身である。自分を守るためならいくらでも殺し奪う。未来のことなど考える余裕はない。今このとき自分が死ねばすべて終わりだ。未来もクソもない。まずは今を生き残るために核を使う。その決断がおかしいとは言えまい。生き残るために動くことは生物として自然なことだ。生きるために出来うるすべての選択肢をとることは、生き残るための最大限の努力なのだ。生きとし生けるすべての者たちは、それを止めることはできない。すでに核の使用に対する唯一の抑止力は失われた。核自身を脅迫にもちいることによって、核は抑止ではなく酷使へと移行し、やがて即死へと帰結するだろう。

 戦いの火蓋は切って落とされた。私たちが生物であるかぎり、向かう先は全面戦争である。プーチンが武力によって侵略した瞬間、それは決定した。プーチンが核をほのめかしたとき、取り返しがつかなくなった。もはや戦争は避けられない。ならばせめて被害を最小限にくいとめたい。そのためには諸悪の根源、戦の象徴、戦犯、すなわちプーチンを殺すことが最善である。