やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

大人とは悪である

 大人とは悪である。ウソつきは大人のはじまりだという。ウソをつくのは他人から騙しとるためだ。騙すためにウソをつく大人。これを悪といわずしてなにが悪か。大人は悪だ。

騙す

 大人がつくウソの代表格にサンタがある。クリスマスにはサンタクロースがやってきてプレゼントをくれる。そんなウソを大人は子供に教え込む。親や先生、メディアなどが口裏を合わせ、こぞって子供にウソをつくのだ。世界中で長年にわたり行われている。サンタのウソは大人たちの悪性がよくわかる象徴だろう。

自己中

 大人は子供から騙しとるためにウソをつく。サンタなんていないのに、営利目的のために騙す。

 大人は安心したくて子供を騙す。無垢な子供をみて、大人たちは癒やされたいのだ。そんな身勝手な理由でウソをつく。自らの悪性をごまかすため「子供に夢を与える」などという大義名分までかかげる。しかしてその実態は、自分たち大人が子供をみて夢をみたいだけである。ああ、楽しそうに笑っているな。こっちまでいい気分になる。そんな体験がしたくて、子供にウソをつき騙すのだ。

 騙せる相手がいるから安心できる。いざとなったら簡単に騙しとれる。万一自分が困窮したときは子供たちから騙しとればいい。かくして大人たちは安心する。大人たちの精神を安定させるため、子供たちは犠牲になっているのだ。

 マウントをとって安心できる。「自分はこんなことで騙されるバカな子供より上だ」とマウントをとれる。もちろんおおっぴらにはいわない。子供を相手どってマウントをとっている自分に気づいてしまえば、むしろ己の矮小さが如実にあらわれてしまうからだ。それはかえって苦痛であり恥である。あくまで心の奥底で無意識にやるのだ。

 自分たちのためにウソをつく大人は悪である。子供から益をすいあげ、精神安定剤にしたてあげる悪辣な手腕。己の悪性すらごまかす手口には辟易とする。やはり大人は悪である。

転嫁

 大人は責任を転嫁する。他人のせいにして自分が負うべき責任から逃れるのだ。自分の要求すら、相手がすべき義務であると主張する。

 大人は転嫁の手口をもっている。たとえば自分の要求を通したいときの話だ。子供ならば「買って買って〜」と手足をばたつかせてゴネる。大人は相手に義務感をあたえて脅迫することで騙し取る。理屈をもって合理性を説き、さもそうすべきであるかのように脅迫するのである。

 大人は要求を脅迫にすり替える。決して素直に「私はこれが欲しい」といわない。自分の要求だといわず、相手がすべき義務であるかのようにいう。「お願いします」ともいわない。要求を叶えてもらう立場でありながらお願いを乞うこともしない。叶えてもらったあとに感謝すらしない。相手がすべき義務だからだ。「常識だろ?」「空気読めよ」「大人なんだからさぁ」などが好例だ。

 大人は転嫁を正当化する。たとえ先述のように己の責任を相手に転嫁しても許される文化を形成する。スーツをきて身だしなみを整え「ありがとうございました」と定型文を唱えていれば、礼節をわきまえた者だという免罪符を得られる。大人たちはそういうルールをつくり、互いに汚い自分を擁護しあっているのだ。

 これらに抗えない者は子供である。大人の手口によって騙しとられるだろう。

 大人は子供に寄りかかる。己の責任を子供たちになすりつけて楽をして富をえる。これが賢い大人の生き方なのだ。こんな大人が善であるはずがない。大人は悪だ。

保身

 大人は他人を悪の道へ誘う。悪を多数派にする狙いである。たとえば「大人になれよ」という説教がそれだ。相手が間違っているかのような言い草で脅迫する。大人という悪になるべきであると刷り込む。

 悪である大人は裁かれなくなる。悪が多数派になれば、だれも裁けない。数の暴力にはかなわないからだ。それをわかっている大人は悪を増やそうとする。悪である自分が生き残るために、他人を悪の道へ引きずり込む。

 世の中は悪人だらけになる。大人たちが自己保身にはしるせいで。

 悪をはびこらせる大人は悪である。

悪の継承

 大人のウソで社会は腐る。ウソつきは泥棒のはじまり。ウソつきは大人のはじまり。大人は泥棒なのである。子供たちから騙し取る泥棒なのだ。こんな大人たちが子供を悪である大人にする。こうして悪の社会ができあがる。子供から奪う社会体勢を連綿と受け継がせるのだ。かくして国債という借金を子孫たちにおしつけて私服をこやす政治家たちがはびこる社会になる。

大人とは悪である

 結論を言おう。子孫から搾取する大人たちよ、滅びされ。