独りで生きたい。
自分のことは自分でやる
自分のことは自分でやる。自分の食べものは自分でつくる。それができなくなったら死ぬ。自然の摂理である。これを基本方針にしたい。
反面、他人・社会・政府からは距離をおくべきだ。「自分のことは自分でやる」の真逆だから。人とかかわることで他人に甘える。社会活動は甘えである。今すぐやめよう。
他人にスガるのをやめる
甘えきった現代人
現代人は他人に甘えすぎだ。自分ではなにもできないカスばかり。
甘えきった社会人
社会は甘え。所属は依存。接触は略奪。
人は奪うために人と関わる。そんな略奪者たちの集まりが社会だ。社会は奪うことを正義とする場である。経済はそれを正当化したシステムだ。政府はその支配人である。
「人の動かし方」などという指南書が出回るほど世も末。自分が動けカス。
奪う甘え
奪うことは甘えである。他人から奪うのは簡単だ。殺し壊し奪うことはバカでもできる。思考停止していたってできる。作るより奪ったほうが楽なのだ。逆に生産するのは大変だ。自分で調べ対策せねばならない。学びと産みの苦しみを味わいたくない。そこで思いつく。そうだ、誰かに肩代わりさせよう。他人に生産させて、あとから奪うんだ。さよう、奪うことは他人への甘えである。
奪って楽した余剰分を「利益」という。奪わずに、どうして利益があげられようか。働いたら働いた分だけの結果がある。それが物理世界の法則だ。経済はそれを捻じ曲げる。他人から奪い、その身に過剰な利益をもたらす。奪うことは甘えだ。自分で作れカス。
経済=奪うことを正当化する甘え
経済は甘えを正当化するシステムである。
経済は奪うことを「利益をえる」と称して正当化する。経済社会に生きるものたちは皆、利益をあげるために働いている。利益は他人から奪うことで得られる。つまり、人は皆、他人から奪うために働いているのである。それが勤労・勤勉で尊ぶべき姿勢であると自己弁護をそえて。
あえていおう。労働は悪である。
社会=他人によりかかる甘え
社会に所属することは甘えである。人が群れることにはメリットがある。自分にできないことを、できる人にまかせる。自分にとって嫌なことを、好きなひとにまかせる。しかし、それらは甘えだ。自分のことは自分でやるものだ。
合意なき依頼は甘えである。両者の合意が得られていれば、他人にまかせるのもいいだろう。互いが幸せになれるはずだ。しかし権力によって一方的におしつけるせいで甘えに転ずる。ハラスメントやイジメなど、巧妙な形で要求を脅迫にすりかえる手口が横行している。他人への甘えだ。
群れると権力がうまれる。人は群れると、その中でも自分は特別でありたいと思うようになる。相手の合意なしに自分の要求をかなえさせたいと欲するようになる。これが権力のはじまりだ。権力はさらなる甘えを生む。独りでいろよカス。
人よ、孤高のソロボッチたれ。
権力=他人から奪う甘え
権力は甘えだ。他人にむりやり嫌なものごとを押し付ける。これが甘えでなく何だというのか。
他人に強いることすべてが甘えである。相手の事情も関係ない。自分にできないから、できる人にまかせる。それは他人への甘えだ。嫌いなことだから、好きな人にまかせる。それも甘えだ。できる・できない、好き嫌い、そんなことは関係ない。他人に強いるのは甘えである。自分でやれ。
自分のことを自分でやる。そんなこともできないの? 生きる資格ないわ。
命令=要求を他人に転嫁する甘え
自分の要求を相手の義務にすりかえるのは甘えである。よって俺さまが命ずる。今すぐやめろ。
すべての命令は要求である。つぎの手順にのっとり、命令を要求におきかえろ。人としての責務を果たせ。
- 自分の要求であることを認めろ(責任転嫁防止)
- 自分の要求を自分の口で説明しろ(説明責任)
- やって欲しいとお願いを乞え(礼儀)
たのむからやれ。お前らみんな今からやれ。すぐやれ。絶対やれ。やれやれ。
自律・自立・独立する
自分のことは自分でやる。できないなら、できるまでやる。それでもできないなら諦める。もっと熱くなるかどうかは、その時こっちで決める。
嫌いなことはやらない。やらないデメリットは自分で受け持つ。嫌なことをやるデメリットと、嫌なことをやらないことで生じるデメリット。どちらがマシか。自分で判断し、自分で決める。自分の痛みを自分で被るのが責任である。断じて他人におしつけるものではない。
- 自分のことは自分で決める
- 自分のことは自分でやる
言い方をかえる。
- 自分の決断に他人を介入させない
- 他人の決断に自分が介入しない
- 自分のことを他人にやらせない
- 他人のことを自分がやらない
これが人として、自分として生きることだと思う。こんな当たり前のことすらできていない現代人に愕然とする。どうりで苦しいわけだ。
自分でやってない自分のこと
- 自分の髪の毛すら自分で切らない
- 自分の着る服すら自分でつくらない
- 自分の住む家すら自分でつくらない
- 自分の食べものすら自分でつくらない
衣食住すべてを他人にたよりきっている。そんなのおかしい。
自分の生き方すら自分で決められない
- 国による義務
- 教育
- 労働
- 納税
- 国による人間関係の決定
- 結婚
なぜ国に、他人に、自分の生き方を指図されねばならないのか。理由はたくさんある。一定の合理性だってある。だがそれは為政者の立場からみた都合なのだ。
自分で考え、自分で決めることができないのが問題である。あまりにも強権的に支配するから学習性無力感にとらわれる。強いられることが苦痛だ。しかし、どうせ逆らったってムダ。暴力で支配されるだけ。私が何をやってもムダなんだ。そう思ってしまい、主体性がなくなる。行動力もなくなる。生産性もガタ落ち。やがて社会は回らなくなる。
主体性を奪っておきながら「主体性を持て」と命令する。ダブルバインドうざい。
命令するからダメなんだ。他人に命令しないと何もできない無能な自分が悪いんだよ。他人とかかわらず生きよう? 独りで生きよう? いい子だから。ね?
強いるのでなく促すべき。好きなことをみつけさせるよう。
私がやる
がんばろう日本? ちがう。私が私にできることをやる。だれかに指図されるのではない。だれかになにかを促すのではない。私が私のきもちを原動力にして、私を動かす。自らに由って生きる。自由に生きる。自由こそ最強。
民にスガる政府にはまかせられない。私は私のきもちと考えをもって決断する。誰にも邪魔させない。邪魔するヤツはいないほうがマシだ。スガやめろ。私がやる。