やってみる

アウトプットすべく己を導くためのブログ。その試行錯誤すらたれ流す。

赤といえば血であり注射:昭和うまれの男が泣き我慢を覚えた日からはじまる男性弱化

今週のお題「赤いもの」

秋も深まり、各地で美しく色づく木々が見られるようになってきました。紅葉のほかにも、さつまいも・りんご・キムチ鍋など、赤いものにテンションが上がる季節ですね。そこで、今週は「赤いもの」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「お気に入りの紅葉スポット」「おすすめの赤いスイーツ」「頬が赤くなった体験」など、あなたの「赤いもの」にまつわる出来事を、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

雑じゃね?

 「赤いもの」がテーマだってさ。すごい雑だな。なんだよこのお題。まあいいや。おかげでバカな私でも連想ゲームでお題をひねりだせそうだ。

赤といえば血であり注射

 赤といえば血。血といえば注射💉

 痛いよね。嫌だよね。怖いよね。

 私は子供のころ、よく注射した。持病があって定期的に採血する必要があったのだ。でも子供にとっての注射とは恐怖の象徴! そんなわけで病院にいく日はとても憂鬱で「地球爆発したらいいのに」と願っていたものである。

 たしか私が小学生くらいの頃だったかな。今は去りし思い出話を語ろう。

絶望を知った日

 バスに乗って病院へいく。だが私は注射💉のことで頭がいっぱい。どうやって病院まで来たのか覚えていない。母に導かれるままにドナドナされる私は、まるでこの世の終わりかのような表情だったに違いない。

 病院が近づいてきた。思わず足が重くなり、ゆっくり歩きになる。しかし母に手を力強く掴まれ、有無を言わさず強制連行。ひきずられるように病院の入り口へ。見上げた母の顔はじつに面倒くさそうだった。きっと母は私を愛していないのだろう。今日、僕は売られます。死刑宣告は近い。

 この世のすべてを憎んでいた。なぜ私がこんな目に合わねばならないのか。理不尽と不条理のはざまで愛を渇望していた。しかしそんな私に救いの手が差し伸べられることはなかった。

 いつのまにか受付をすませて待合室のソファに座っていた。一人、また一人と拷問質へ拉致され、年端も行かぬ少年少女たちの泣き叫ぶ声が木霊する。

 にわかに恐怖が伝播する。子どもたちの顔に緊張がはしる。自分も似たような顔をしていただろう。中にはつられて泣いてしまう子もいた。ここには絶望しかなかった。

 小児科。それは無垢なる子供たちを集めた虐待場。まわりをみると、哀れにも絵本を読んでもらって誤魔化されている幼児がいる。まだ穢れを知らないその純真さが、あまりに脆弱に思えた。可哀相に。自分にかまってもらえるそれは偽りの愛だったと、すぐに思い知ることとなるだろう。ここは親から見捨てられ裏切られることが約束された最果ての地なのだ。

「○○さ〜ん、○○△△さん、どうぞお入りくださ〜い」

 世界には何十億も人がいるというのに、私を指名し狙い撃ちする悪魔の声。一体、私がなにをしたというのか。ほかの人でいいじゃないか。このときの私は将来「お前の代わりはいくらだっているんだ」と言われて絶望するとも知らずに、そんなことを思っていた。

「○❌△□」

 当時はまだそう呼ぶことを許されていた看護婦さんが、私になにかを話しかける。だが私は左から右だった。恐怖でなにも入ってこない。すでに何度もやっているが、決して慣れることなどなかった。しかし哀しいかな、子供の習性である。大人には逆らえず、注射の体勢を自らとってしまう。だって怒ったときの母ちゃん怖いし。前門の虎、後門の狼。そして実家の鬼。待ったなしの逃げ場なし。そしてついに処刑がはじまった。

 イスに座らされ、自ら刺してくれといわんばかりに腕をまくらされる屈辱。肘をのせる枕みたいなところにマイハンドをセット。ターンエンド。そして謎のゴムチューブでぐるぐる巻きに縛り上げられる私の左腕は、まさにまな板の上のタイである。これからぶっ刺されるのだと、否が応でも分からされる。このときの私はすでに涙目だ。

 ここから先は、筆舌に尽くしがたい。

 私はギャン泣きして猛烈に暴れまわり抵抗していたようだ。いつしか看護婦さんたちが5,6人がかかりで私を羽交い締めにしたり私の周りを囲って圧や暴言を放ち、ムリヤリ注射するというあまりに悍まく凄惨な光景ができあがっていた。

 私はこのときの恐怖体験が忘れられない。すっかりトラウマになってしまった。今だからはっきり言える。私はこのとき去勢されたのだ。そして草食男子、男性の弱体化がはじまる時代の幕開けであり、時代が変遷する象徴的な事件だったと言えよう。以降、本件は「ギャン泣き注射羽交い締め事件」として後世に語り継がれることとなる。

男の子でしょ? ほら小さい子も我慢してるよ?(なのにお前ときたらギャン泣きしやがってみっともない)

 今でも覚えている。私は死ぬ気で抵抗した。殺されると思ったからだ。そのときに込めた力は掛け値なしに最大。たぶんリミッターも外れてて、火事場の馬鹿力くらい出ていた。

 なのに。それなのに。大人とはいえ、数人がかりとはいえ、女性に封殺されたのだ。まったくこれっぽっちも一切の抵抗ができず、結局、彼女たちの思うがままに犯された。

 屈辱。人生最大の屈辱にして、男のプライドを木っ端微塵に破砕された瞬間である。

 忘れはすまい。彼女たちが私を暴力で抑え込んでいるとき、こういっていたのだ。

「男の子でしょ?」
「ほら小さい子も我慢してるよ?」

 それってつまり

「なのにお前ときたらギャン泣きしやがってみっともない」
「男のくせに」
「年長者のくせに」
「お前はダメなやつだ」

 ってことだよね? ひどくない?

 まさに泣きっ面に蜂である。ただでさえ注射という痛みと恐怖によっていっぱいいっぱいなのに、ここぞとばかりに精神攻撃をしかける容赦のなさ。パワーでも勝てない。口論でも勝てない。女の恐怖を骨の髄まで叩き込まれた完全敗北。これが去勢でなくてなんだというのか。

 当時の私は悔しかった。なので以降、泣かなくなった。小学校6年生くらいだったと思う。それまでは毎年ギャン泣き暴れん坊少年だったが、そのくらいの年でもって卒業した。はたしてそれは「成長」といえるのか? 私には「調教」としか思えない。ギャン泣きは恥ずかしいことだからやめろ。そうした同調圧によって屈服させられたのだ。逆らったつもりで泣くことをやめたが、むしろそれは彼女たちの思う壺。私は結局のところ負けたのだ。看護婦に負けました。はい、世間にも負けました。

プライドへし折り→男性の弱体化

 私は注射の痛みよりも、プライドを破砕されたことが忘れられない。「三つ子の魂百まで」というくらい幼少期の体験は強烈に残り、その後の人生を変えてしまう。私にとってこの事件は、遺伝子レベルで根深く刻み込まれてしまったように思えてならない。

 近年、男性が弱体化したというが、こうした物理攻撃、精神攻撃によって幼少期から去勢させられたトラウマ体験が一因にあるのではないだろうか。きっと私と同じ気持ちの男性たちもいるだろう。

 さすがにこの頃から「もっとなじってくださいハァハァ」とか言ってたらヤバイ。でもきっとそういう性癖だって、こうした屈辱体験を屈辱ではないのだと自分をごまかすための逃げ口上がはじまりだったのではないだろうか?

 男のプライドは悪だとされる現代社会。でも男のプライドを踏みにじった今、よい世の中になっているだろうか。たぶんその程度では踏みにじられなかった凶悪な男が牛耳る、余計にたちの悪い社会になったんじゃないだろうか。それを強者男性ともてはやす悍ましい人間たちばかりの社会になってしまったのだろう。どうりで私の居場所がないわけである。

 お前らの血は何色だ?!

去勢された男の末路

 わかるだろうか。あのときの私の絶望が、悲しみが。

 親に裏切られ、大人たちに羽交い締めにされ、女性にいいように弄ばれた私の気持ちが。人として、男としての自尊心を木っ端微塵に打ち砕かれた屈辱が。

 わかるまい。絶対に許さない。社会に復讐してやる。憎い。人間どもが憎い。打っていいのは打たれる覚悟のあるやつだけだという。でも看護婦さんたちは自分たちで打ち合って練習しているという。訂正しよう。打たれる覚悟があっても打たれたくない人には打たないでください。おねがいします。

 今となっては注射による医療事故も多く、後遺症が残ることもたくさんあると知った。なのでこれを免罪符に、できるかぎり注射しないと心に誓っている。なんなら四十路すぎたおっさんとなった今の私が、当時の私顔負けのギャン泣きを披露するのも吝かではない。私にはもう何も失うものはないのだ。守るべきものがある男より、すべてを失った男のほうが強い。みせてやろう。プライドすら失った男の全力全開ギャン泣きを。