今週のお題「最近あったちょっといいこと」に答える。
普段はブログにつづらないようなささやかな幸せ、小さな喜び、「ちょっといいこと」を聞かせてください。今週は「最近あったちょっといいこと」をテーマに皆さんのエントリーを募集します。「近所でお気に入りの場所を見つけた」「旬の果物を美味しく食べた」「好きな人と連絡を取り合えている」「子どもの成長を実感した」など、あなたの「最近あったちょっといいこと」についてぜひはてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。
まあ最近、嫌なことばっかりだもんね。現実逃避しないとやってらんないよね。
- 中国・ロシア・アメリカから日本へ攻撃
- オミクロン株の台頭
- 灯油高騰(その他生活用品も高騰)
いいこと探し
少しでも良かったことを探してポジティブになる。そんな話はよく聞く。けれどスーパーネガティブマンである私にとってはいいことが思いつかない。見つけられない。そしていいことが思いつかないこと自体が嫌なことにカウントされてしまう。なので普段は絶対にやらない。けれど今回はお題にかこつけてやってみる。
ものは言いよう、考えよう。解釈次第でどうとでもなる。それもよく聞くけど、そうやって上手に逃げ道をつくることができていたらネガティブマンなんてやってないわけで。
ネガティブマンにはネガティブマンに合った思考法がある。ネガティブマンのくせに無理矢理ポジろうとしてもバカをみるだけ。ネガはネガらしく正しくネガっているのが幸福というものだ。というわけで、まずはネガティブであることを認めよう。そこからはじめよう。
ないものはない。イイコトなんてないんだ。どう探そうがないし、こじつけたところで、そんな嘘っぱちをでっちあげても虚無感が深まるばかりでやらないほうがマシである。そんな惨めさを味わうくらいなら堂々としていればいい。
ないものはない。それはつまり、裏を返せば「ない」ことは見つけられているということだ。むしろ「ない」というネガティブな状態を探すことはネガティブマンにとって得意分野である。ならばこの方針に則って、ないものを探してみよう。なくてよかったものってなんだろう?
雪が積もってない
今年はまだ雪が積もっていない! 雪かきしなくていいから楽でいいわ〜。ちょっとイイコトだよ。いや、ものすごくいいことかもしれない。朝から汗かいで重労働する苦痛たるや尋常ならざる負担だからね。夏より冬のほうが体を動かすハメになるのが道民の宿命。せめて少しでも雪かきの負担がなくなれば嬉しい。
この調子で今年いっぱいくらい積もらずに雪かきとは無縁でいられたらいいな。まあその分、地球温暖化が深刻であることの証だし、農業や漁業などに影響が出て生活必需品が値上がり、やがて食料をめぐって戦争になるのだろうけど。ああ、ダメだ鬱だネガティブだ。
よく眠れる
冬は夏と違ってよく眠れる。私にとって三大欲求のうち睡眠がもっとも大切だ。それが満たされているのはちょっといいことだと思う。できればそのまま安楽に永眠したい。独りで静かに安らかに穏やかに消えてなくなりたい。
活動時間がないってすばらしい。睡眠は生の苦痛を回避できる最高のひとときだ。生きながらにして死を仮想体験できる最も贅沢な時間である。その品質が最高になるのが今の季節なのだ。とてつもなく良いことである。
良し悪し
イイコトっていうけど良し悪しは表裏一体。なので良いことがあれば嫌なこともある。だったら良いことなんていらないよ、と思ってしまう。良いことを得るよりも、悪いことを避けたい気持ちのほうが強い。
ネガティブマンがイイコトを探しても碌なことにならない。イイコトがないということを再確認してストレスが倍増するから。よしんば見つかったとしても過去の栄光にすがり、それが手に入らない現在に不満を抱いてしまうから。
イイコトなんて探さないほうが精神的に良い。それがはっきり明文化できたことは良いことかもしれない。次からは「いいこと探し」という有害行動を避けることができるようになるから。説得材料になるから。
深読み
嫌なことを探すのが得意ということは、良いことを探すのが得意でもある。表裏一体なのだから嫌なことは良いことに反転されてしまう。ヤバイ、幸福に殺される。逃げなきゃ。
表裏一体。そこで良い面に注目する人はポジティブで、悪い面に注目する人はネガティブなのである。ネガティブマンは望んで不幸を求めている。
結局、たとえ両面があったとしても私自身がネガティブであるかぎり、暗黒面に堕ちることは避けられない。じゃあ自分を変えてポジティブ・シンキングすべきか? 否。断じて否。どうしてそこで自己否定してしまうのか。それこそが最もツライことであり避けるべき悪行ではないか。ネガティブなままネガティブらしくネガティブさえも否定する。それこそがネガティブマン唯一の活路だ。
いいかい? よく考えたまへ諸君。そもそもネガティブを悪いことだと考えることがネガティブ・シンキングであり嫌なこと悪いことだ。真のポジティブマンとは、ネガティブな状態でありつつそれをポジティブに捉える者をいうのだよ。だってそうだろう? 良い状態を良いと思うのはポジティブでもネガティブでもなく、当たり前のことだ。ポジティブでありたいからとポジティブを求める者は、現状に満足できないネガティブな状態なのである。もし本当に「心の持ちようだ」というなら現状を変えようとせず、受け入れたまへ。それをしないということは、人に対しては格好いいこと言っているけれど、本当は不満タラタラということだ。自分や人に嘘をついている。一体そんな状態のどこがポジティブだというのかね? 潔く認めたまへ。ネガティブであることを。
それでも良くなりたい? よかろう。ならば神の一手を授けてしんぜよう。
諦めよ。ネガティブ・シンキングによって諦めることが最適解である。諦めることが悪いことだと思えば悪いことだし、諦めることで自分に適した生活ができ、ムダなあがきをせず健やかに過ごせるとポジティブに捉えることができればよい。わかるかね?
ネガティブマンが諦めの境地に至るには、徹底的にあがいて叩きのめされるしかない。ネガティブ体験をするからネガティブになる。そして、とことんやられたら最後は諦めるという形で消極的ポジティブに変換される。重要なのは中途半端ではなくネガティブに振り切ることだ。
ポジティブを捨てる勇気。
ネガティブに浸かる狂気。
さあ、レッツ、ネガティブ・シンキング!
良し悪しの差を大きくしてメリハリある人生よりも、起伏が少ない平坦でイージーな人生を望む。よって私はギャップを意識せずに済むよう、イイコト探しはしない。嫌なことはどうしても目についてしまうが諦める。これが私にとってのベスト。そうは思いたくないが、そう思わないとやってられない。現実と理想のはざまで妄想へ逃げる。そのためのブログだ。ブログやっててちょっとよかった〜(欺瞞)。
ちょっとイイコト
ネガティブマンとしては「超いいこと」だと困る。もしそれが次も得られなかったら「ああ、あのときはあんなイイコトがあって良かったなぁ。それに比べて今ときたら……(鬱)」となるからだ。過大な幸福は身を滅ぼす。つまり「失くしてもいいこと」であり、かつ「あったほうが嬉しいこと」という条件を満たす必要がある。
なんてワガママな条件だろうか。見つかるはずがないわけだ。けれどこんな要望になるのも仕方ない。失う怖さに対する保険が必要なほど弱りきったメンタル。幸せになる勇気のなさ。まさに臆病者。こんな自分自身でちょっとよかった、と思えたらどれだけよかったことか。思えない。思えるわけがない。
このお題はネガティブ側にいる人間を殺しに来ている。「ちょっといいこと」なのがまだ救いだが、もっとネガティブ側に寄せなければ探せなかった。かといってお題のルールから逸脱するわけにもいかない。難問だ。
負けるもんか。絶対ポジってなんかやらないんだからね! 最後は必ず「あ〜嫌だった!」で終わってやる! ネガティブマンのプライドにかけて。「あ〜疲れたわ〜。イイコト探し疲れたわ〜。時間とられたわ〜。ツライわ〜」。でも大丈夫。イイコト具合がしょぼいと、嫌なこと具合もしょぼいから。失くしても大丈夫な範囲でのイイコトは、被っても問題ない範囲での嫌なことなのだ! いや〜臆病者ってすばらしいな〜。さすが私。どっちに転んでも生存できる。ちょっといいね〜。ちょっといい考え方だね〜。ちょっといい人生だね〜(いいわけがない)