自分のことは自分でやる。他人とは関わらない。この2つを同時に満たせば差別がなくなり、公平・公正になる。ただ、それを絶対にやらないのが人間である。
なぜ差別はなくならないのか?
奪いたいから。
差別せざるをえない現代社会のしくみ。
- 利益ほしい
- 利益は奪うことで得られる(自分で生産しても等価交換であり利益でない)
- 奪う立場の者をつくるために差別する
- 差別するためにカースト社会をつくる
- 奪って得するのが正義な社会になる
- 生き残るため搾取しかできない・しない(自分で生産できない無能化)
- 差別によって搾取しつづける
差別をなくすにはどうしたらいい?
- 自分のことは自分でやる
- 他人とは関わらない
自分のことは自分でやる
自分の欲しいものは自分でつくる。奪う必要がなければ、奪うために差別する必要もない。これで差別はなくなる。きわめて単純明快だ。
人は利益がほしくて奪う。奪うために差別する。奪いたいから差別するのだ。なら、自分の欲しいものは自分で作ればいい。自分のことを自分でやれば、奪う必要がなくなって差別する必要もなくなる。すべての人が、自分のことを自分でやれば、差別がなくなる。
他人とは関わらない
差別は奪うための手段だ。奪うのは他人と関わるからだ。なら、他人と関わらなければいい。関わらなければ奪うことは起こりえない。奪うことが起こらないから、そのための手段も起こりえない。
私たちは自分のことを他人に背負わせるクズである
自分のことは自分でやる。あたりまえだ。しかし驚くべきことに、私たちはそんな当たり前のことすらできないのだ。私たちはいつも人から奪っている。自分の欲しいものを得るために他人から奪っている。奪うことを正当化するために社会秩序というカースト制度をつくっており、日常的に差別している。これをクズと言わずしてなんというか。
生きることは奪うことである
私たちは生きるために食料がいる。食べ物はほかの生物の血肉だ。血肉は殺すことで得る。生きることは殺すことであり奪うことだ。奪わずに生きることはできない。奪うために差別することが必要だとしたら、私たちは生きているだけで差別しつづけることになる。
差別の根源が生存にあるとするなら、差別をなくすために生きることをやめねばならない。すべての人を殺して差別がなくなった美しい世界をとる? ありえない。きっと生きることのほうが本望であり、差別はそのための手段としてとりつづけるだろう。私たちは生まれながらに差別主義者であり、原罪を背負ったクズである。
わかってたよね?
差別をなくす方法なんて、皆とっくにわかっている。それでも私たちは奪いたい。楽がしたい。だから差別する。
私たちはゴミクズであり死すべき汚物なのだ。そんな自己否定に陥るのが辛いから、深く掘り下げない。せいぜい表面上で「差別はいけないことだとおもいまーす」みたいなキレイゴトだけ吐いていい気分に浸る。自己否定せず自己美化してアピール。クソっぷりが増しただけだ。
やはり人間はクズだ。人間に自浄なんてできない。
これはもうコロナに滅ぼしてもらうしかない。
差別せず全人類を滅ぼしてくれるコロナの公平公正な世界尊い。
そう思うことは生きるのに不都合である。人はそれを病という。地球にとっての病原菌は人間だろうに。どこまでも自己中なクズだよ人間ってやつは。
本当の答えをいおう。
差別をなくすには人類を滅ぼせばいい
本末転倒だが仕方ない。
差別という認識をする人間が消えれば、この世から差別は消える。すべては人間のせいだったんだね。でも生きるために差別せずにいられない。だから消えるしかないんだね。よかったね。
ムリ! 開き直って差別する
いいわけあるかボケ死んでたまるか! 俺は差別してでも生き残ってやる!
これが本性であり実態ですわ。クソだね。人だね。
差別、なくせそうにないわ。
それでも差別に消えてほしい。