ケチることをケチらないと決めている
「ケチらなくてもいっか」などという甘えは許さない。そんな余裕はもう何処にもない。
私は追い詰められている。ケチらないと決めることができないほどに。選択の余地はない。解決の見込はない。もう手遅れだ。助からない。ケチとして生きて死ぬ。その覚悟を決めるだけだ。
地球に住むケチたち
A「なんでカネを落とさない? これでは天下にカネが回らず人が住めなくなる! ケチの冬が来るぞ!」
S「地球に住む者は自分達のことしか考えていない! だから抹殺すると宣言した!」
A「ケチがケチにケチをつけるなど!」
S「私、サァ?ワカラナブルが粛清しようとゆうのだ、アフロ!」
A「ケチだよそれは!」
S「私が持たん時が来ているのだ!」
なぜ判らん?!
言っても判らぬバカばかり。もう殺すしかない。誰かがやらなきゃいけないんだ。たとえ自分の良心や正義、社会的立場や人間的信用、自分のすべてを犠牲にしてでも。終わらせなきゃいけないんだ。
他の誰にできる? ボンクラどもにできるか? できるわけがない。できていない。僕がやるしかない。僕にしかできない! やってやる、世界を変えるんだ! 僕が正義だ! 僕は新世界の神になる男だ! 神に逆らう者、それこそが悪!
殺してもより一層貧しくなるだけ。だってその貧しさを解決しうるのは人だけだから。
人の為に動ける者は人だけだ。人外には人の為に成す動機がない。人の為に動けるのは人だけだ。そんな人々を人が殺すなら、もう救いはない。そんな人々を人の手で生み出せないなら、人はもう終わりだ。貧困化は止まらない。自らの貧しさによって、己自身のケチによって、ケチの沼へと沈むのみ。ケチの集団無理心中。
でもね。世の為人の為自分の為。これで傷つく人もいるの。綺麗事じゃ救えないの。
だとしたら辞めるのか? だとしても辞めない。だからこそ傷つけ合いは終わらない。傷つくからこそ、傷つけ合いを終わらせようとして、より深く傷をえぐり合う。死ぬまで止まらない。
誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いている。皆の願いは同時には叶わない。
小さな事で大事なものを失った。
あなたの幸せ願うほど我儘増えてくよ。
私はあなたの幸せを願っている。それを叶えるために私は我儘になっていく。私の我儘があなたの不幸になっていき、あなたが私から離れることで私が不幸になっていく。
それでも私が自分の幸せ願うのは我儘じゃないでしょう? だって私の幸せはあなたの幸せなのだから。そうでしょう? だってあなたは傷ついているじゃない。私が癒やしてあげるって言ってんのよ。あなたは私に癒やされて嬉しい。私に癒やされたあなたをみて私も嬉しい。これ、我儘じゃないわよね? 利害の一致でしょう? この役目は誰にも渡さない。あなたを癒せるただ一人になりたくて。無理して我慢してまでやったの。応えてよ。
私の我儘が叶うことがあなたの幸せ。そうでしょう? それは私の我儘ではないでしょう? だって、あなたの幸せは私の幸せなのだから。私はこんなにあなたを想っているのだから。あなたも私を想ってくれれば、それで全部よくなるの。世界は丸く収まるの。互いの優しさだけで満たされた完全な世界になるの。これが人を救う愛なのよ。そうでしょう? どうか私の手を取って。
一人じゃ居られない。お互い様でしょう? だったら一緒になれるはずでしょう? そうだと言ってよ。一人じゃないって言ってよ。私の愛に応えてよ。さもなきゃ私は一人で、愛は成らないの。一人は嫌。一緒に居て。あなたも同じでしょう? だから一緒に居るんでしょう? なら応えることができるでしょう? それが愛でしょう? どうかあなたの愛を私へ返して。そしたら私たちは永遠になれる。永遠に優しい愛で満たし合う幸福が未来永劫、終わらずに続く。だから。ねえ。私を見て。私に触れて。私を求めて。私と一つになって。
判れバカ。どうして判らないの? 無理やり抱き寄せるほど心は離れていく。それでもあなたを引き止めたい。いつだってそう。そしてあなたへ続くドアが音もなく消えた。
どうして? 私はただ、あなたを愛しているのに。これは依存なんかじゃないのに。共に生きていきたいだけなのに。同じだと思っていたのに。もう一度あなたを抱きしめたい。できるだけそっと。傷つけないように。そうすればきっと。今度こそきっと。だってそこには愛があるはずだから。そうでしょう? 答えを返してくれる人は、もう居ない。そのまま扉の音は鳴らない。
「なにやってんの?!」
弾幕薄いぞ!
それがお前が”向こう側”で得た力か!
だが足りない、足りないぞ!
お前に足りないものは、それは
情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ!
そして何よりもぉぉぉ――言 葉 が 足 り な い !!
しかし、いくら言葉を光の速さで重ねようと、体を重ねようと、決して交わらない。
自分は自分、他人は他人。
私は一人。あなたも一人。ひとりぼっちがたくさんいるだけ。皆一人。孤独。
群れたって群れの中で一人なんだ。誰かと一緒にいたって私は一人なんだ。
ひとりぼっちじゃない? そんなの、嘘だッ!! それはただの願いであって事実じゃないんだ。祈っても叶いやしない嘘なんだ。
あろうことか…祈ってしまった…!何も考えず…神頼み…
救ってくれ…オレを助けてくれ…だっ…!
もう自分以外…頼るものなどいない…と 骨身にしみて知っていたはずなのにっ…!
愛も正義もエゴなんだ。そこに救いはないんだ。私たちは奪い合うしかないんだ。勝って奪った物だけが得られる物なんだ。僕らはどうしたって一緒じゃ居られないんだ。一緒に居ることは勝ってしまったとたんに叶わなくなる。でも、勝って奪わなければ死んでしまう。死ぬのは嫌だから殺す。だから僕らは皆ひとりぼっちなんだ。僕も私も俺もあなたも誰も彼もみんな一人なんだ。
愛は人を救うんじゃなかった。人に合いが巣食っているんだ。仕合うだけなんだ。死合うだけなんだ。僕らは殺し合うことしかできないんだ。なにも間違っていなかったんだ。何もかも間違いであって欲しかった。それは単なる願いに過ぎなかった。事実じゃなかったんだ。願望よ事実であれ、と言い聞かせるために歌っているだけだったんだ。暗示であり催眠術なんだ。嘘であり虚構だったんだ。ただの誇大妄想であり現実逃避でしかなかったんだ!
ああ無常。
ケチだと言ってよバーニィ!
信じられナーイ! オーマイガー!
哀れ。ケチがケチなことをしてケチをつけあい、更に価値を落と合い、ケチらねば生きられぬケチな状況になってゆく。誰も自分自身のケチさが原因だとは思わない。誰もが皆「俺は悪くない」「俺はケチじゃない」「お前らがケチなのが悪いんだ」「お前らが俺のためにケチらずにカネを出せばいいんだ」と主張し、責任をなすりつけ合う。それこそがケチのはじまりだ。
自分が悪い、と気づけない。自分だけが悪い、と思い込む。相手も悪い、と気づけない。
せっかく、受け止めてくれる人がいるのに、それと気付かない。その手を取れない。守れない。それが愛だと気づけない。そこに求めたものがあるのに、そこに自分を救うものがあるのに、それと気づけない。手を取れない。自分を裏切り傷つける敵にしか見えない。悲しいね。それを守る力がない。許せないね。弱い自分が。じゃあどうする? 殴りに行こうか〜♪ いや殴るだけじゃ済まない。殺そう。
自分の弱さを認められないばっかりに。
自分の小ささで全てを失う。自分の小ささが、他人の大きささえ見損なう。
自分の弱さを認められないせいで、他人の強さを認めることができない。
自分が悪い。それを認める自分の正しさを、自分自身で否定し続ける。
自分では何も出せないケチ同士が、相手に何かを出させようと突っついて、互いにケチを出させ合う。あまりにも間抜けすぎる。でも、ケチにはこれしかできない。だって自分からは何も出せないほどにケチだから。出てくるものがケチしかないから。
他人にケチをつける。このときケチはシナジー効果によって無限大に増幅してゆく。ケチを止めることができるのは自分のケチを自力で止めることができるケチだけだ。
ケチにできる唯一無二のケチを止める方法は「私はケチである」と認め、説明し、喧伝することである。
そんなこともできないようでは、その程度すら出せないほどにケチという訳だ。
でもね。自分をケチだと罵っても救えない。
皆の幸せを叶えるためにやったのに、皆を傷つけてしまった。
誰かの為にやったのに、誰かを傷つけ自分も傷ついてしまった。
自分を傷つけてでもやったのに、彼から皆から傷つけられてしまった。
もう、こんな自分なんて。自分ですら自分の為に生きてやろうと思えなくなった。
ついには自分自身からも傷つけられる始末。
なんだよこれ。そりゃないよ。
じゃあどうしたらいいんだッ?! どうしたら救われるってんだッ?!
悲しいね。他人にケチをつけようが、自分にケチをつけようが、誰も救えない。それでもケチることしかできないからケチり続ける。自分にできることをやれば救いの道に通じると信じて。ありもしない救いを信じて奪い合い、殺し合う。それを愛や正義だと信じて。判ってくれよと泣きながら殺す。そしてまた一人になる。死ぬまでずっと繰り返す。独りだね。寂しいね。悲しいね。
今週のお題「ケチらないと決めているもの」
今週のお題「ケチらないと決めているもの」。これを見て思った。お前は何を言っているんだ?
物価高の中でもコスパ度外視でケチらないものは何? だと?
ない。そんなもの、あるわけがない。
ケチらずに済むなら誰だってケチらんよ。ケチらなきゃ生活できないからケチるんだ。好きでケチってんじゃないんだよ。そんなこともわからないの? ケッ!チッ!
ケチは舌の根も乾かぬうちにケチり出す。ケチから出るのはケチだけだ。救いようのないケチである。せめてケツでも出せば一等賞になれたかもしれないのに。
どうしてそこで感謝できないの? いつも好き勝手言う場を提供してくれてありがとう。話題まで用意してくれる親切さに感謝ッ!圧倒的感謝ッ!なぜ、その一言が言えないの? それはね、自分がやってきたことの価値を自分が認めていないから。自分の活動に価値がある有り難いことだと思ったなら、そのために手伝ってくれた人々の行為に感謝できるでしょう? 人に感謝できないのは、自分に価値があると思っていないから。自分の価値を損ない続けているのは、自分だってことに気づいていない。ケチな奴なんだ。見下げ果てたケチだよ。
自分をケチらないケチさ
私は自分をケチらない。嫌なものは嫌。好きなものは好き。言いたいことは言う。言いたくないことは言わない。素直に自分を発揮する。せめてブログの中でくらいはね。
自分を発揮する時間をケチりたくない。他人にケチをつけられても、それで人生にケチがついても、自分で選んだことならそれでいい。そう思えるようなケチな人生でありたい。
ケチらない、と言っている時点でケチである。そんなふうに我儘に生きたら、そのせいで迷惑を被る誰かが生まれてしまうわけで。ケチることによって富むこともあるはずで。ここに思い至らない自分のケチな想像力をどうにかするために、その労力をケチらず蹴散らす。そんなことができるようになりたい。でも、ケチな自分にはそんなだいそれたことができない。
ケチらないように過ごす。なんてケチな過ごし方だろうか。本当にケチでないならケチらないことにことさら注目したりはしない。日頃からケチだったりケチじゃなかったりしてケチか否かに無頓着のはずだ。ケチな奴はケチだから、それがケチであるか否かに注目し、血眼になる。それがケチの証だと気付かない。なんとケチな人生か。
そうありたい。口にするだけならタダ。ケチな自分には、安いことしかできない。安いことばかりするから、どんどん安くなっていく。この上「全然ケチってません。余裕っす」などとケチで安いことを言うならもう止まらない。無限に安値を更新し続ける。嫌だ。困る。私は「超ケチってます。もうムリ」ということにしたい。口だけなのは同じなのに。
ここが底値だ。これ以上下がることはない。あとは上がるだけ。今より高値がつく可能性を信じたい。だから、できもしないくせに願望を口にする。これこそが自分自身をケチな輩に貶め価値を損ねると知っていても。
どんなお題であろうと、自分自身が問われている。自分が如何にケチであるか。それが明るみに出てしまう。悲しい。やめてくれ。見ているだけでつらい。私はケチなんかじゃないんだ。きっともっとすんばらしい何かなんだ。たのむ、そう思わせてくれ。嘘でもいいから。いや、やっぱ本当じゃないと嫌だわ。はいケチ。
それが判っていたとしても、私はそうであることを辞めない。ケチであることをケチらずやり抜く。そう決めている。どうせケチなヤツなんだから、諦めてケチなヤツとして生きる。そこをケチってしまえばもう何も残らない。そこをケチれるほどの余裕や中身なんて、私にはない。
ケチれないと決まっていた。私にはケチる余裕や中身がない。そのことを自覚した直後から「決めること」ではなく「決まっていたこと」になる。あとはそんな、ケチれないケチとして生きていく覚悟を決めるだけだ。私はケチとして生きて死ぬと決めている。決めたくはないけど、決めざるを得ないのである。もう後戻りできない所まで来ているんだ。
たぶん主旨と違う
いやそーゆー話じゃネんだわ。お前のことなんてどーでもイんだわ。
貧しいことは判っている。それでも売れるものは何か。これを知ることによって今この貧困時代の中でもカネを稼ぎたい。そのために出した話題だと思われる。
たぶんはてな的には、何かしらの商品を紹介して欲しかったんだろう。はてなブログは物販にこれほどの影響を与えます。だから広告費を渡す価値がある存在です。はてなブログは経済社会の中で価値ある存在なんです。そういう方向に話を持っていきたいんだと思う。世の中カネだからね。うわーなんてケチなんだ。
ごめんなさい。知ったこっちゃないっす。そうやって忖度して他人にペコペコして自分をケチって安売りするのは嫌なんス。心にもないことを言って過ごすことに人生を費やしたくねーんす。「俺、なんで生きているんだろ…」ってなっちゃうんス。他人に指図された人生だと、自分の価値を見失っちゃうんス。その程度で見失うくらいに中身空っぽマンなんす。突っ張ってる俺カッケェ!してなきゃ立ってらんないんす。マジツレーっすわ。いやね、他人の奴隷としてカネ稼がなきゃ生きていけないのは判っているんすけど、その状態を生きている状態だとは思えないんスよ。だったらそれを辞めて死んでも同じかなって。
なんとうクソガキニートムーブ。
こんなことを書いてしまえばカネを得る機会を失う。他人からの信用を失くす。売り込む力のないバカだと判断され、関わっても損するだけだと思われ、収入を得る機会を逸する。
自分を売れないなんてケチすぎる。お前の毛と血は何色だ?! ケチャップを撒き散らして泣き叫ぶ。たのむ、もうこれ以上、恥を晒さないでくれ。ケチはケチを撒き散らすことを辞められない。ケチは死に至る病。あなたは私を引き止めない。いつだってそう。だってこんなのと関わりたくないから。自分で止められなきゃ暴走機関車よ。
こうして自分を売れないケチ野郎の市場価値は果てしなく下落する。そんな我儘で誰の役にも立たないカスには、誰も一円の価値も見い出さないから。もうケチとかいう次元じゃない。そもそも価値を生み出せていない。ケチはゼロよりプラス側だが、何もやらない奴はゼロ以下だ。じつはこの話題に参加する資格すらない。
しかしケチが勝手にはてなの底を決めつけるのはいかがなものか。じつは見当外れな話でさえも利益に変える知恵と技術をもっているかもしれない。そうでないなら長年運営できるはずもない。自分がケチだからといって、はてなまでケチな考えだとは限らない。
まあ、主旨とは違うと思うけど。だって物価高うんぬんの話題だし。そう書いてあったし。ならその話をしろって? 知らん。私は自分をケチらないと決めているんだ。前提が違う。なのに何で話しちゃったんだろうね? もう後戻りはできない。
価値がないのはモノでもカネでもなくヒト
物価高? インフレ? ちがうね。
カネに価値がない? モノに価値がない? 違う。ヒトに価値がないの。私たちに価値がないの。他の誰でもない、私たち自身がそれを数値化している。それが円安なの。インフレなの。
スカウターの故障か?
そうだったら良かったのにね。
戦闘力たったの5。ゴミめ。
数字で人を測って殺しちゃった奴がいるんですよ〜。
なぁ〜にぃ〜? ヤっちまったなぁ?!
男は黙って……回れ右!
見なかったことにしちゃったよ〜。
数値でごまかせると思った? 言葉を弄すればごまかせると思った? ごまかした分だけ更に価値は下がっていく。ないものはない。失くしていく原因が、自分自身であることにも気付くことすらできなくなっていく。果てしなく価値を損ない続ける。誰かのせいにする。自分以外の何かのせいにする。そんな自分こそが価値を損なう原因なのに。それを誤魔化し続ける。安値を更新し続ける。底なし沼のケチリスト。テロにもケチにも屈する。それが自分自身なら何でも肯定する。
おいおいおい、死ぬわアイツ。
違うでしょ? 数字じゃないでしょ? 言葉じゃないでしょ?
大切なのは、そうじゃないでしょ?
今、ここにいる私でしょ? あなたでしょ? そこにいる彼でしょ?
私にとって、あなたが大切なんです。
これ。これを言わなきゃ、心の底から思えなきゃ、そのために命を賭けられなきゃ、もう価値なんてなくなるの。それが人間なの。ヒトってそういうふうにできているの。
人が人を大切にしなきゃ。人が人に価値を見なくちゃ。価値なんてなくなっちゃうの。
わかる?
ヒトでしょ? モノでもカネでもなく、ヒトでしょ?
大切なのはカネでもモノでも勝ちでも価値でもなく、ヒトでしょ?
人が人を傷つける。人が人を見損なう。人が人の価値を損ない続ける。
人が人に値札をつけ値切り人を使い捨てる社会に、人が価値を見出すと思うのかい? そんな社会を成立させている人々に、その活動に、人は価値を見出すと思うのかい?
そんなんじゃね、人は人を見限るよ。人は人の価値を見損なうよ。自分たちが生きることの価値を見失っちゃうよ。
価値っていうのはね、人の役に立つことを言うんだよ? 私たちが私たち自身を大切にできなくちゃ価値なんて産まれやしない。当然でしょ? だって価値はヒトが抱く幻想なのだから。
誰かの願いが叶う頃、あの子が泣いている。誰かの役に立ったら、そのせいで他の誰かが傷つく。だったら私たちは、どうしたらいいの? 生きても死んでも誰かが傷つくことは避けられない。役に立ったって、役立たずだって、それぞれの形で誰かを傷つける。価値を損ない続ける。
もしかして、もう価値では人を救えないのでは? すでに価値は、人を傷つけるものに成り下がってしまったのでは? だったらもう、価値なんて捨てればいい。大切なのは、価値なんかじゃなくヒトなんだから。そのあとは、どうしたらいいんだろうね?
誰かの価値には価値がない
なんで全ての物価が高いの? それはね、カネに価値がなくなったからだよ?
なんでカネに価値がなくなったの? それはね、カネと交換する商品に価値がなくなったからだよ?
なんで商品に価値がなくなったの? それはね、金儲けしたくてコストを掛けず価値のない安物にしちゃったからだよ?
なんで金儲けしたいの? それはね、金儲けしないと食いっぱぐれて死ぬからだよ?
なんで死んでも価値ある良品を作ろうとしないの? それはね、良品で助かる誰かより、自分の命や生活のほうが大事だからだよ?
そっか。物価高なのは、誰も人の為に良品を作ろうとしなくなったからなんだね。
価値が失くなったのは、人が人の為に働かなくなったからなんだ。
人が人に価値を見いだせなくなったからなんだ。
価値がないのはカネでもモノでもなくヒトなんだ。カネを運用しモノを作る主体、ヒトだったんだ。人が人に価値を見いだせなくなった。自分の人生を費やしても人を助けようと思えなくなった。これが、人が価値をなくしてしまった原因だったんだね。
正論は人の心を傷つける。では、自分の心を傷つけてでも正しさを手にして、その事実を元に、人の為に役立つ仕事をしようと思えるか? 冗談じゃない。自分の心を守る。それが生きることなんだ。そう。だから。そんなんだから。守り抜いた自分が空っぽなんだって気付かないから。
金儲けをする。これが目的になってしまい、価値ある物を作ることは手段に成り下がった。目的を達成する方法は一つじゃない。金儲けをするためには、良品を作るだけじゃない。安物を良品と偽れば、良品を作るコストをかけずに高値で売れる。これぞ経営の合理化。
カネがいる。自分が生きていくには、カネがいるんだ。誰かを騙そうが蹴落とそうが、カネを手に入れて、生き抜いてやる。さもなきゃ死ぬだけだ。市場原理は生存競争なんだ。奪わなきゃ奪われるだけなんだ。奪われるくらいなら奪う側に回ってやる。殺されるくらいなら、殺す側に回ってやる。カネは命より重い!
数遊び。金儲けという数遊びのために人の命を削り、人の価値を損なう。カネ・モノの無価値さは、それを運用し、それを作るヒトの無価値さを示している。
じゃあ、誰かを言い訳にすればいいのか? 家族が、子供が、恋人がいる。彼らのために死んでくれ。それは正当化されるべきなのか? 独り身は死ぬべきなのか? 正当化はできない。でも、自分が選んだ結果ではある。それは正義ではなくエゴである。勝手な価値観によって導き出した自分の答えだ。このとき、価値が生まれたと言ってしまっていいのだろうか。悪と呼んでしまっていいのだろうか。どちらにせよ問題がある。マシなほうを選ぶしかない。なら答えは決まってる。自分にとって大切な人を守るため、それ以外を殺す。
カネに価値を宿せるのは、人の為に働く人がいる時だけだ。では、カネがなきゃ生きられない時は? カネが目的になって、人の為に働く意志と目的をもつ人が居なくなったら? カネに価値は宿るのか? 誰がカネに価値を見出すというのか。カネと交換できる商品は金儲けを目的とした詐欺の商材でしかないというのに。そんなゴミに、誰が価値を見出すというのか。
すぐに壊れる。外装だけ立派で中身スカスカ。写真と違う。原材料や消費期限に偽りアリ。それを合法化する。注意書きは出しました。それが見えづらくても知りません。それを理由に理解せず問題が起きても知りません。私たちはちゃんと警告しました。効果には個人差があります。問題があっても商品のせいではありません。あなたが悪いんです。文句は受け付けません。カスハラです。カスは黙ってカネだけ払っていればいいんです。私の為に、あなたは尽くしていればいいんです。死ぬまでね。それでしか、あなたの価値を、私は認めません。
僕と契約して債務者になってよ。被災者に、過労働者に、納税者に、社畜に、奴隷になってよ。そのカネで購入者になってよ。お喜びの声を上げてよ。ツイートしてよ。宣伝してよ。ポジティブに、前向きに、倒れるくらい前傾姿勢で。それで元気出してもっと働いてゴミを買ってよ。死ぬまで。
そんな…あんまりだよ!こんなのってないよ! こんなの絶対おかしいよ!
そんな…できっこないよ。こんなの買えるわけ無いよ!
買うなら早くしろ。でなければ帰れ!
(逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだっ!)
買います。僕が買います……。
偽装まみれの商品。これしかないから買い続ける。無価値を継続する。価値を損ない続けている。他人のせいにしながら、それが価値を損なうことだと知りながら、それでも、無価値な自分が生きるには、それしかできないから。そんな無価値な自分が、価値を損ない続けている。
価値とは、人の役に立つことだ。では、価値を求める人々を裏切り続けたら? それは価値を失くしていく。カネを得るために騙したら? 価値どころか、最低限の信用さえ失い、敵だと認識し、戦うことになる。戦い方は、殴る蹴るだけじゃない。今何が起きているか気づいていない。
人を使い捨てたら? そんな人を見限る。捨てられた人は、その人や社会を捨てる。その人だけが問題だと皆で主張し、生贄を切り捨てることで、皆が自分自身という問題の本質から目をそらす。互いに相手を罵り合う。
成長? 地球資源に依存せずには成立しないそれを成長と呼ぶのか。増長の間違いだろう?
自分が悪い、などとは絶対に認めない。改善する気はない。お前が俺に合わせろ。そんな人々に、価値はあるのか? そんな有様に、価値を見出していいのか? そんな連中が群れた社会に、価値を見出だせるのか? こんな自分に価値はあるのか? 逃げずに答えられるか?
私が悪い、とケチらずに言えるか
自分のせいだと思わない。よって原因がなくならないから解決しない。自分という原因を解決できないから暴落し続ける価値。それをケチと呼ぶに至る。
止めなきゃいかん。自分のせいだと認めなきゃ。
自己否定は悪? だって自分の心が傷つくから? もう立ち上がられないから? 働けなくなってカネを稼げなくなって食いっぱぐれて死ぬから? 自己肯定しなくちゃいけない? 嘘でもいいから? 生きるために?
クソ喰らえだ。勝手に決めるな。勝手に見損なうな。
そんな自分じゃ、他の誰もでもない自分自身が、価値を見い出せないんだ。俺はその程度じゃ折れない。挫けない。折れても挫けても立ち上がる。足がもげたら這ってでも行く。
偽物に用はない。本物だけが欲しい。沢山欲しいんじゃない。たった一つでいい。本物が欲しい。誰かが認めたものが欲しいんじゃない。自分が認めたものが欲しいんだ。
このケチでチンケなプライドだけが、自分を立たせる足なんだ。折れたって、這ってでもやってやる。バカにされたって、ハブられて独りになったって。
誰にも知られなくたっていい。自分だけが知っていればいい。
誰にも判ってもらわなくていい。自分だけが判っていればいい。
誰かのせいじゃないだろう? 自分の願いだろう? 仮に誰かのせいだとして、そこで終わるのか? その程度なのか? 誰かに邪魔された程度で辞めるのか?
舐めるなよ。見損なうなよ。その程度じゃ終わらん。終わってやらん。
自分で感じ、自分で考え、自分で決め、自分でやる。
こう感じるのは私のせいだ。こう考えるのは私のせいだ。こう決めたのは私だ。これをするのは私だ。誰にも渡さない。
私だ。私なんだ。誰かじゃない。あなたじゃない。君じゃない。彼じゃない。皆じゃない。社会じゃない。私だ。
誰かに言われてやるんじゃ意味ネんだよ。テメェ自身で決めてやッから中身になンだよ。そッから本物が始まンだよ!
私がどうするかは私が決める。
自分が何処までやれるのか。それを試し続ける。限界に挑戦する。ただ自己満足のために。自分の為に。このときに言える。ようやく言える。
私が悪い。私にはこんなに価値がないんだ。だからこうも円安で物価高なんだ。すべてが自分のせいとは言わないが、少なくとも一部は自分のせいである。
私は人の為に働いていない。こんな私が悪いんだ。そのくらいは言える。その程度も言えないなら、問題すら発見できないなら、問題を認めることができないなら、そりゃ解決に踏み出すことなんてできやしない。解決なんてしない。未だ解決していないのは、そういうことでは?
じゃあどうする? 他人に尽くすのか? いいように利用され、しゃぶり尽くされるのがお望みの人生か? 冗談じゃない! これ以上、奪われてたまるか!
搾取することしかできないから問題なの。騙し取り、巻き上げることに腐心し、自ら生産できないからダメなの。自分が悪いと認めず否定し続けるから自己改善に踏み出せず下落し続けるの。いつか誰かがやってくれる、じゃないの。今自分がやれることをやるの。そうでしょ?
ケチはこれをしない。自分でやらない。他人に負担を押し付け、他人が得た成果を搾取する。これにて利益を最大化することが社会正義だとのたまう。ケチに価値はつかない。道理である。
でもさ、生きていたらお腹が空くでしょう? 食べなきゃ生きられないでしょう? 食べ物は他者の血肉でしょう? 殺さずにはいられないでしょう? 奪わずにはいられないでしょう? 奪わせてくれないなら、騙し取るしかないでしょう? 騙されてくれないなら、偽るしかないでしょう? 嘘をつき偽り騙し奪い殺し食うことで生きる。これがケチならもう、どうしようもない。
カネの話ばかりするのもケチなことだ。ケチらないと決めているなら無駄話をしたっていいじゃない。それができないって、どんだけ余裕ないのよ。ケチだねぇ。そんなもん、いくらかき集めたって価値ないっしょ。騙し取ろうとしかしないんだから価値なんて生まれるわけがない。数遊び、言葉遊びでごまかす活動のどこに価値があるのか。本質イズどこ?
夢も希望もありません。人は力をもったら使わずにはいられない。エボンの教え。死の安息に沈め。 覚悟を決めろ。他の誰でもない。お前の物語だ。もうお前達の時代だ!これはお前の物語だ!さあどうする!今こそ決断する時だ!死んで楽になるか 生きて悲しみと闘うか 自分の心で感じたままに物語を動かす時だ! まやかしの希望なんか…いらない!
負けたことがあることがいつか大きな財産になる。オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本の時か? 俺は……俺は今なんだよ!!
小さなことで大事なものを失った。数遊びに明け暮れて、それを成立させてくれる人々を失い続けている。自分が悪いだなんて思わないし認めない。ケチにケチは解決できない。自分がケチだと気付かず認めることもできない。ケチは他人にケチを付け続け、人の価値を損ない続ける。小さなケチは無限大に増幅し、もう手が付けられない。ついにはこの星まで食い尽くそうとしている。
あーあ、誰かがケチらずに大放出してくれればいいのになぁ。出てくるのはケチばかり。
今だ。今起きているんだ。今やらなきゃいけないんだ。
自分に何ができる?
せめてケチであることを自覚し、認め、ケチとして生きて死ぬ覚悟くらいは決めたいものである。そのためには、ケチることでケチである自覚をするきっかけ作りをするしかない。ケチることをケチらないと決めている。さもなくばできないことだった。私がやった。私が悪い。
ケチっていいのはケチられる覚悟のある奴だけだ。